★2007.5.27 虐めと江戸っ子
はじめに、少し間があいたので皆様をご心配させて申し訳ない。書きたくなかったのでも書けなかったのでもなく書いてはいたのだけれど何か
"時機" ではなかったためです。
僕にとって書くという作業は苦痛この上なくそれは内面的なもので単に表現ではなくてどちらかというと変革的なので自分の中での "時機"
が必要だったワケです、ご理解あれ。
先週、久方ぶりに粋な江戸っ子に出会った。
大阪で粋な江戸っ子に出会う事はコンパで好みのタイプに会うより難しい、東京ですら田舎モンのエセ都会人ばかりで生粋の江戸っ子は稀少だ。僕は東
京で働い
ていた頃何人かのお江戸の旦那衆にいろいろな酒場文化を学んだ。江戸っ子の粋さはけして格好のいいものばかりではない、見栄とやせ我慢の連続だ。
例えば、 宵越しの金はもたねぇ、と
か、しっかり若い衆のメンドウみる、とか、一軒の店に30分以上長居しない、とか、一晩に4軒はハシゴする、とか、あまり長々としゃべらない、と
か、オン ナコドモにとやかく言わせねぇ、なんての
もある。基本的には大風呂敷的自慢話が多く落ち着きもなくぶっきらぼうで格好悪い、でもそこにはビックリするほど優しさが溢れている、そこには
ちゃんと理 由がある。
今回出会った江戸っ子の58歳の兄貴とそんな "あそび" の話で盛り上がった。彼曰く、格好つけたいコドモなんだ、そ うだ。彼
は東京在住なので大阪の店はあまり知らないらしいが呑み方は素敵だった。蘊蓄もほ
どほど(関西人よりは多いが....)だしもちろん陰湿な愚痴も決めつけ的悪口もほとんどない、意外とフレンドリーで一度よく知り合ったら命をか
けて(け
して大袈裟ではない、超本気だ、命を懸けるのだ)そのヒトを迎え入れる、けしてヒトを裏切らないし例え裏切ったヒトでも見捨てないで縁を大事にす
る(一期
一会の最たるものだ)、店に対してもそうらしく行きつけの店にはどんなときでもたとえ酒一杯でもいいから週に何度か顔をだし気にしてやる、店に
とっては小 口で申し訳ないが何日(3週間開くと行きつけとは言わないらしい)も開くと関係が薄く?浅く?
なるし居心地悪くなるから、らしい、何より街が好きなんだ、だって、ただし金のないときは外に出ない、ない袖はふらないのだそうだ、わかりやす
い。何より も計画的に酒を呑まないトコがいい、その日暮らしだ、いいねぇ。
ある作家が、情報のない男は退屈だと言った。僕も常々酒場には活きた情報があるべきだとみなさんに言ってきた。オトコオンナ言いたくないが特に男
性諸君の
活きた情報の少なさには閉口するときがある(最近は女性の方が偏りこそしているが活きた情報を持ってる場合が多い)、同じ情報の繰り返しで他のヒ
トの話も
自分の中に落とし込まないうえに、酒場で俺っていろいろタイヘンなんです、をアピールしても誰もリスペクトできないし楽しくない、江戸っ子の自慢
話の方が まだマシだ。
不明確な情報を自分の獲物のようにひけらかすヤツは糞だし自分を自分で創造できないヤツも糞だ、と、僕が言うと、江戸っ子も賛同してくれて、『最
近の小僧 は酒やりながらオカンオカンってやがんだ (同感!!)、おいらぁおめぇのオカンに
興味ねぇっての、だいてぇてめぇの親の話でしか勝負できねぇって恥ずかしいと思わねぇのかね、それっててめぇがなんも生み出してねぇって言ってる
ようなも
んじゃぁねぇのかい、え、てめえの柄もねぇ、てめえの話もできねぇ、そんなやつぁ酒場でも社会でもいい連れもできゃしねぇよ、キミの言うトコの
さ、ジョウ ホウってヤツ、そいつらのジョウホウってもクズじゃぁねぇの?
ウチぃヒッコんで字ばっか読んでやがんだよ、糞どころかきっとてめぇのケツも拭けやしねぇ!』と、へべれけでロレツがまわってないのに気風がい
い。
彼らは
けしてクールではないがヒトの縁を命がけ(!!!!)で大事にし、その中の情報で日々勝負し主張している。何よりライフスタイルが明確で小気味い
い。結
局、憧れられる大人ってある意味イイカゲンでいいのだ。完璧で理路整然でファション誌からでてきたようなちょいワルなんていらない。格好よくなく
てもカッ コイイ、そんな江戸っ子の軽快
且つ爽快さ(関西の粋さはどちらかというと豪快でそれもいいが)に、これじゃなきゃ、って思った、そんな先週のある日だった。
ところで、前回からの流れで実は今回と次回分は随分前から書いていたのでつじつまが合わないところがあったり少し古い話題もあるかもしれませんが
ご了承く ださい。
さてさて、前回からの続きでもう少し堅い社会派(?)の話を続けよう。
今回は、 虐め.....だ(社会派!!!!)。
昨今、虐めや理解不能で猟奇的殺人が目に余る。(思うに、地下鉄サリン事件以降人々の何らかの精神的タガがはずれた気がする。あんなのもアリなの
か、と)
毎日毎日そんなニュースが世を賑わしそして忘れ去られる。それは、子供たちの間だけではない。大人の世界も
同様で、何かが失われているようだ。何故こんな世の中になちゃったんだろうか?........たぶん、皆さんもそう感じておられるだろう。教育
が悪いの か社会が腐敗しているからか...........どちらもか................前回も述べたが大人の責任は重い。
先日、テレビでどこかの学者さんが『現代社会は老化しているのだ』と、言っていた。なるほどそうだ、戦後我が国は一から生まれ変わった、高度成長
期の活気 を青年期の熱さと 例えると、今は、経済も政治も社会の仕組みも我々すらもすっかり疲れきった老人のようである。
そんな中で生きる人々が何の希望を見いだせよう............特に子供は、だ。
この国は、もはや、スラムなのだ。
気づかないうちに我々は世界で取り残されている、いつのまにやら自動車以外(他にある?)で一番の産業もないし、現実的に数字上はほとんどの分野
で BRICsを含め他のアジアの国々に追い越されてしまっている。ニューロストジェネレーションとは若者だけではないのかもしれない。
今、僕らは少し温すぎる。
美味くもないのに通ぶって賞味期限切れで発酵しすぎのチーズを"この味がわからんヤツはウマいもをわかってないんだよ"、なんて言ってるのだ。発
酵と腐敗
を自分たちのエゴだけで区別してしまってる、そんなカンジじゃない?何のプライドのだろう?結局本質は置き去りなんだ。なんで強気になれるんだろ
う?なぜ
この国こそが負け組だと気づかず自分の生活の心配ばかりできるのだろう?........ね、こんなんで健全な社会、健全な教育なんてできるハズ
ねぇわ なぁ.......他は二の次なんだから、エゴ、エゴ、そしてプライド。
授業参観や運動会に行くと暗い気分になる。
授業中何も言わずにトイレに行く生徒。先生は何も言わない、止めると体罰になるからだそうだ。おいおいそういう問題じゃない、そもそもトイレに行
くために 休憩時間というのは設けられている、仮に急にモヨオしてもエクスキューズするのが礼儀だろう、そう指導すべきだ。
今時の運動会のかけっこには順位というものがない。順位をつけることで虐めに繋がるという発想からだろうか。しかし社会に出れば正当にも不条理に
も何かに つけ優劣があるものだ、
子供の頃から競争する意味も勝ち負けも知らないからリセットを安易に考えるのだ。挫折を知らないし挫折したり負けても努力しないで次を待つか引く
か逃げる しかしない、自分からは踏み出さなくなっていく。
昨年末から今年の初めにかけて教育や学問の有識者とお話しする機会が何度かあった。現場の方々は勿論、仕組みを構築する方も切実な思いをもってい
らっしゃ るし非常に努力していらっしゃる。その方々のご意見を参考に僕のフィルターで考えてみた。
明らかなのは、虐めはなくならない、
というコト。
この世の中は不平等だ。同時に不条理なコトも多い。格差があるのも当然だ。マルクスの教科書通りにやったってそれらはなくならない(共産主義が破
滅したの
も必然だ)。それらが存在する事実はどうしようもない。しかしながら不公正はいけない、エゴや予断や偏見による差別からそれらを起こしてはいけな
い、なぜ なら、僕たちは理性や知性や感性でそれらを十分判断し行動できるからである。
まあ、それをふまえたとしても不平等や不条理なコトや虐めはなくならないであろう。
それ
が、人間だか らだ。
どうしたら僕らはハッピーになれるのか?どうしたら虐めは減るのだ?
それを教えてくれたのはホントに身近なヒトたちだった。
高槻市立第七中学校は虐めが非常に多かった。
数年前、そこの生徒会がJASMIN運動というのを始めた。
JASMINは5つの約束事の頭文字で、Jは授業を大切にしよう! Aは挨拶をしよう! Sは掃除をきちんとしよう! MIは身だしなみをきっち
りしよ う! NはNOチャイム運動に取り組もう! である。
どれも大事だと思うが特筆すべきは、チャイムをやめて生徒個々の自主性を高め、生徒会が毎朝校門に立って率先して挨拶をしコミュニケーションの必
要性を示 したことであろう。
自主性をもつことで先に述べた不平等や不条理や挫折に対処しルールを認識し不公正を生まなくなった。挨拶することも同様で規律の面もあるが、何よ
り人と人
のかかわり合いの大切さをみんな知ったのだ。信頼関係ができれば虐めはなくなる、虐めは現実の歪みなのだ、現実をみんなで確認し合う最初が挨拶な
のだ。
一番驚くべきことは、期間だ。たったの 2.3年で虐めがなくなったそうだ。今では全国から注目されはじめている。
そう、こんな簡単なことだったのだ。
学力低下や虐めをどうするかは、教育なんたら会議とか他のエラい大人が考えているほど難しい問題ではなく、この
生徒会が起したこの運動で快方に向かったのだ。
虐めや社会の歪みをなくすには、礼儀をもって挨拶して自分で授業に自分から出席する、そこからはじめるだけでいいということ。もっと早く気づいて
いれば、
学力や体力低下もヒキコモリもなんとかなってたろうし、例え虐められることがあったとしても誰も自殺する必要なかったし、誰も憎む必要も誰も殺す
必要もな かったろう。
結局この国をつくってきた大人ではなく、子供たちがそれに気づいたのだ、オヤガクやショクイクなどと言っておられる方にいったい何ができた?
江戸っ子の言ってた "てめぇの柄(自分のライフスタイル)"
は自主性からだし、ネットなどのヴァーチャルなコミュニケーションでは自主性ではなくあくまでエゴしか育たなかった、それどころかオカンの話しか
できない 自分を創造できない消費するだけのニンゲンを、クールなんかではないただ冷たいニンゲンを、この国は量産してしまったのだ。
今からでも間に合う、人と人がもっと熱くかかわり合えるようにコミュニケーションし信頼関係を築き情報を戦わせ前へ進もう!
クールってホントはそれを格好良くできるライフスタイルをもったヒトたちなのだ。
余談だが、とあるライターが、"いじめ" や "イジメ" ではなく "虐め"、"苛め"
と書け!と、言っていた。マスコミの責任は大きい、と。
同感だ。"万引き" も "窃盗" と書くべきだし、"レイプ" も "暴行" も
"強姦"と書くべきだし、チカンあかん! なんて標語は最低で "痴漢" ですら軽く感じる。
マスコミはジャーナリズムの役割とは何かもっと考えるべきだ。マスコミュニケーションのマスとは誰に対してかもっと考えるべきだ、被告保護がすぎ
るのも疑 問だし、あまりにも罪を軽んじる言葉はジャーナリズムとして恥ずべきだ。
言葉づかいひとつで虐めを含む犯罪に対しての抑止力、歪んだ社会への抑制もあるのだと僕は思う。因みに僕はジャーナリストではないから誤字脱字乱
筆乱文無 責任筆者だけどね...........許して........
ハァ、これで社会派は最後にしよう。
さぁ、最後にもう一度言っておこうか..........
偽物や浪費を捨ててリアルなコミュニケーションをしよう!
粋でカッコイイ大人になろう!!
酒場に来て活きた情報をやりあおう!!!
そうすればみんなスラムから抜け出し虐めもなくなりハッピーになれる。
とりあえずてめぇの自慢話でもいいからしなよ、見栄とやせ我慢でいいからここへ来りゃぁいいのさ、コミュニケーションってヤツぁたまにゃぁシンド
いときも
あるだろうサ、そのためにアウトローってなぁてめぇらのソバに在るんだよ!.......なんてね........お待ちしておりまぁす。