fight 4 liberty 山本裕之のコラ ★2015.9.28      fight 4 liberty


  人生に於いて、余暇があってお金があって精神的にも肉体的にも健康で得うる「自由な時間」というのは意外と短い。それらのどれかを「確保するための時間」 の方が 断然長いと思 う。
  平和な日本人にはなかなか実感がないが、「自由」というのは元来 勝ち獲るモンなんだろう、社会やら国家やら思想やら宗教やら会社やら家族やらから、そして 自分からも。

  しかし、たとえ時間が手に入ったとしても無駄に過ごしてしまうコトが多い。後悔し、いろんな言い訳をし、また時間を作るために生きる。そして年を重ねてエ エオトナになってはじめ て自分の「存在理由」なぞを考えるが、その時には遅すぎたりする。まぁこんなに不毛なコトはない。


  僕はよく自分に問う、お前は何者なのだ、と。そうして常に戒めとかないと僕はニンゲンが怠惰なのですぐ逃げてしまうからだ。勿論、逃げるコトや存在意義を 見出 ださな い生き方は自己決定である限り「悪」なワケではない。そんなヒトは社会悪にならない限り逃げ回ってタイクツな人生を生きれば良いだけだ。

  僕はただ後悔したくないし誰にも迷惑かけたくないし生まれてきた限りは世界にも貢献したいし何よりまだ やりたいコトがいくつかあるからそれらの夢をもってもっと自由に楽しく生きたいのだ。

  いくつになっても夢をもっていたいもんだ。
  夢なんてでかけりゃでかいほど良いっていうがそうそうは叶わない、けど夢というマイルストーンに向かうコトで自分を鼓 舞できる。そう、夢は道標なんだ。 
  「行動しよう」と前回もこのコラムでいった。少しでも夢に近づけるように細かいコトでもちょっとづつはじめていかないとすぐ老人になってやりたくてもでき なく なる。時間には限りがある。何かを犠牲にしてでもやらなければならない時もあるんだ。小さな1歩でいい、毎日少しづつ自分のために動く習慣をつけよう。
  そのためには、日々妄想するクセをつければいいのではないだろうか。
  妄想が思考を引きだし、行動をインセンティヴする。なので自分がどんなニンゲンかを嘘でもいいからイ メージするコトだ。
  思考はホントだいじだ。
  常に考え続けるコトで行動しやすくなるし騙されたりしなくなるしヒトを傷つけなくてすむ。


  その行動には大まかにいって2種類ある。「守る」「壊す」だ。

  (性格もこの2つに分かれるかもしれないがそれは傾向として心に留めとくとして) 行動する時にその都度、常にどちらかを決定するコトになる。
  たいていの場合、ヒトは安定で穏やかに暮らしたいから「守る」を選ぶモンだろう。ルーティンワークが理想だ。しかし、ルーティンはどこかで行き詰まるし、 それが組織体だったりすると腐って被害が出る。
  ビジネスをしてるヒトは理解できるだろうけど現状維持でいこうとしてもほとんどの場合維持するコトは難しい、現状維持は後退と同義なのかもしれないね。な ぜな ら時は流れるしヒトは少なからず成長するからだろう。前提が変わるので結果は同じにはない。
  そうした場合、今度は変革を要するようになり既存のモンを「壊す」コトを考えねばならなくな る。「創造する」という行動も無から何かを生み出すコトはほとんどなく、たいてい既存の概念の「破壊」から創造がはじまる。イノヴェイションとは「創造的 破壊」からだと、シュンペンターもいっている。

  余談だが、僕がいつも違和感をお覚えるのは、何もせず穏やかに暮らしたい「守る」タイプのヒト(ほとんどの「社会人」がそうである)が、スゴく意見をもっ てニュースやら政治やらに敏感に反応するコトだ。そう思うならもっと発信して行動すればいいのに、って思う。その手のヒトは、ある程度の地位を得 て 影響力がでるとあたかもずっと発信してきたかのように正義感を振りかざす。ポジショントークはさもしい。
 

  「日本」というのはオモシロい成り立ちの国だ。
  小さな島の小さな農耕共同体にシャーマン的指導者が生まれ、大きい先進国から海を渡るリスクを冒してまで技術を習得し、同時に入ってきた宗教と土着信仰を 混ぜて地方分権皇国というなんちゃって国家をつくり、国家権力闘争も一部の武闘家と一部の民が広場に集まり自己紹介しながら礼儀正しく行い、権力 闘争終結後ウマくシステムを構築し暫く続いた政府も腐って崩壊し、皇族を担いだ新しい田舎モン政府はなんちゃって近代化してしまい、出だしは好調 も調子にのって自国のポテンシャルを 過信し、既存の列強国に対するルサンチマン的被害妄想と身の丈に合わない大義から的外れな大きすぎる戦争をはじめてしまい、コテンパンに負けてジ リ貧になったが、ウマく戦勝強国のケツを舐め尻馬に乗って、予想以上に豊かになり、また調子にのってそれに溺れてお気楽な国になる←イマココ。

  ヒトによれば、模倣、革新、創造の歴史だという捉え方をし「壊す」コトをしっかりとしてきたかのように思っておられるみたいだが、僕の観方は少し違ってい て、結局「守る」コトを前提に「壊す」や「革新」のフリがあっただけ(言い過ぎかな)ような気がしている。その最た る例は皇制で、大政奉還も先の 大戦終結のご聖断も皇制維持 (当時は国体護持というまやかしのコトバを使用) つまり、「守り」が前提の維新や国体だ。
  日本の会社も同じかもしれない。変革をいう割に外資や外様を嫌う。

  日本人が変化を嫌い「守る」のは島国ならではの「絆」共同体の必然だったのであろう。
  しかし、グローバリゼーションの荒波の中、お気楽になってエゴが強くなってきた中、僕はどう観てもこの共同体の劣化をカンジずにはいられない。僕はこのコ ラムやsnsでも再三再四この点を指摘し対処を提案し続けてきた。でも、酷くなるばかりだ。
  もはや「守る」もできていない。

  日本は歴史的にも幾度となくグローバルの波に遭っている。秦氏の渡来、遣隋使、日宋貿易、元寇、キリスト教の伝来、朝鮮出兵、出島貿易、産業革命からの黒 船来航からの近代化、オイルショッ ク、そして、インターネット革命。
  平成バブル期まではなんとかウマく乗り越えてきたが(神風とか)バブルが崩壊しデフレになると共同体では補完で きなくなり、共同体を過信しすぎたがあまりインターネットの社会に対応できなくなっていた。
  僕の個人的な実感でいうとITバブルくらいまではなんとなくウマくネットを取り込んでやろうとしたがリーマンショックを境にコントロールを失った。グロー バリゼーションに対処できず不安になった。旧いヒトたちはなんとなく「守る」コトを考えるがあまり、ホリエモンのような寵児や村上ファンドをハゲ タ カなどと呼 びミスリードしイノヴェイションを阻害した。「壊す」コトを恐れたのだ。
  旧いヒトたちはネットをただのツールとしてしか観ていなく、今だにイン ターネットが現代版の産業革命だというコトに気づいていない。

  今後ネット社会の進化やそれに伴うイノヴェイションにより多くの職業は早々にカタチを変えざるを得なくなる。

  それを現すのが先般の「五輪騒動」である。
  昔なら、競技場を誰がデザインしいくらかかるか他国の競技場がいくらだったかなんて知らなくてよかった、エンブレムも同じ、昔なら調べるのにも時間を要し た、でも、できちゃうんだよねぇ......
  もはやネット社会をナメてはいけない。

  今回、エンブレム騒動でもいつもの如く2項対立が起きた。僕はsns等でこの問題の根幹を言い続けたが、案の定デザ イナーからは総スカンだった。
 
  彼らの言い分もわかる、彼らは手間ヒマかけていろんなトコに気を使ってまさに命懸けで必死に1つの作品を手がけている、それをネットでそれを知らない素人 が細かいコトやプライベートなコトまで突かれて虐めではないか、と。しかも、素人がエンブレムの代替案などとデザインをナメるな、と。よくわか る。

  でもね、もうね、そんなコトいってられる時代じゃないんですよ。

  今回、ネット民たちのとった行動は、佐野某氏に対するプライベートなコトにまでの攻撃は論外だとして、僕は現代に於いては健全な行動だろうと思う。
  五輪のデザインとも なればもはや公人、芸能人なんてもっと晒されている、どうしようもない。それよりネットで見つかってしまったコトの多くはやはり残念なモンで偽善 ネット民のヒートアップも頷ける。
  彼と同世代だしクリエイティヴな業界をずっと俯瞰して客観的に観てきたので、なぜこうなったか僕にはよくわかる。

  僕が思う佐野某の罪はただひとつだけだ、イージーゴーイングを顧みず被害者面して逃げてしまい結果後進のクリエイティヴを阻害してしまったコトだ。

  僕は、今の時代完全オリジナルなんてほぼ不可能なのだから、パクリでも模倣でもコピーでも引用でもなんでも最大限のリスペク トとエクスキューズがあれば問 題ないと考 えています。音楽だって文学だって料理なんて当然で、イイモンはそうして成り立っている。 その代わり リスペクトのないパクリやパロディやモノマネはサイアク(多すぎないか?)。

  今回のようにリスペクトもエクスキューズもなく、やってません、観たコトありません、家族が酷い目に合ってるからやめます、って無責任すぎるしズルすぎる し酷すぎる。
  そういうコトはよくある、っていって堂々とするか、最初の指摘の時点で、やってないけどそれじゃあかんのですか?すんませ〜ん、っていってすぐやめるかし かなかった。
  中途半端に言い訳し て最後に逃げるって僕ら世代にホントに多いダメダメパターン。そんなヤツいっぱいおるモンなぁ........ほんまに

  「ディテイルはネ申である」とかいいながらコンセプトやらプロセスやらが違うっていっちゃうんだよ ねぇ........業界のヒトしかわからん話って「表現」ちゃうやんね。
  そもそも著作権や肖像権や作業時間や不可価値や地位向上や「無報酬はいかん」なんて大声でいってたんだからこうなってバッシングされても仕方ないよ。こう なった挙げ句、デザイナーはクリエイターじゃないから、なんて今更いっちゃう(結構たくさんいたね).....そんな無責任なヤツらが企業のブラ ンディン グとかコンサルティング とか エラそうにいうなよ、ってカンジですよ。

  今回デザイナー諸君の多くは擁護に回るか、沈黙を守った(大御所ほど)が、だから井の中の蛙なんだよ、って思う。
  業界として彼を救えるのは擁護や同情でなく、自浄検証し構造改革して彼に再チャレンジさせてやるコトだろう。
  いつも同業者同士ばっかで話してるから世界のコト観えてないんじゃないの?

  因みに、飲食業には著作権も何も認められていないのでみなさんがどんだけ写真撮ろうが無報酬ですしレシピをいわされて家で作られても無報酬です。クリエイ ターが遊びで事務所とかでバーを開いて呼ばれたりもしますが何のリスペクトもありません。1回しか 来店せず名前も名乗らないヒトに謂われなき批判もよくされます、口コミサイトに書き込まれても削除もできません。風評被害で死んじゃった方も数人 知ってます。誰にも文句言えません(僕は言います が)。
  それは自分たちも模倣からはじまった前提があるのと、それでもみんながハッピーになってくれたら、っていう憶いがあるからです。

  飲食業が口コミサイトやクックパッドなんかに抗えないように、設計やデザインもこれだけ優秀なソフトもあるのでクラウドソーシングやらネットには抗えな い。
  プロのヒトたちが危惧する「イイモン」の創造が大衆迎合していくか否かは、ホントに「良いモン」か「イイと思わせてるだけのモン」かによって今後現れるで しょう。
  プロは今後どんな環境になっても「良いモン」をクリエイティヴし続けるしかないのです。評価は結局大衆が決める時代なのです。
  ポピュリズ ムであろうとなかろうと「良いモン」は良いのだから、創り手は創り続けるしかない。
  そういう意味合いで、今までの「職人」は職人たり得ない時代になったというコトになるでしょう。

  余談ながら、一応分析しておくと、今回の問題はやはり建築やデザインや広告やマスメディアの業界構造だ。権威主義がすぎる。
  なんちゃら委員会など政府サイドの無責任オジサンたちが招いた今回の罪は勿論、佐野某より重い。が、しかしそこへのっかった各業界の権威主義もまた腐っ ていた。
  安藤某などの記者会見がそれをよく表わしていた。
  エンブレムの件に関しては特に、僕は広告代理店の罪が一番重いと思う。佐野某やオジサンに罪を押し付けているが仕切りは代理店だろう。
  メディアは広告業と 保険業にはほとんど追求の目を向けない、否、向けれない構造だ。広告代理店こそ非難されるべきだ し構造を見直さないともっと酷いコトになる。
  クリエイティヴな業界なのに「守る」しかできず、僕の知る「業界」の方々は、ほぼ全員が「壊す」を考えてもいなかった。
  今回の五輪騒動もオボカタやサムラゴーチも東芝も笹子トンネルも根幹はよく似ているしその周りの反応もよく似たものだった。
  オボカタ擁護と佐野擁護は同じ 本質を観ない感情論だった。

  もうこの国はどの業界も職人も権威すら、大人たちが劣化しているのだ。リテラシーのかけらもない。



  「大阪都構想」住民投票の時もそうだったが、「守る」ヒトはいったい何を守りたいのだろう? 現状が観えていないか思考停止のように思えてならない。勿論、よく 思考し自己決定で「守る」選択したヒトはそれでいい、でも感情論的に「壊す」ヒトを嫌悪するのは知恵がなさすぎる。確かに都構想の場合は賛成派の品位の話 になると反対 派の感情の逆撫でもわかるのだが......
  今回の安保法制の件も同じだ。
  僕個人の考えは、安保法制なるモンは明らかに憲法違反である。もう、これがすべて。
  だからといって今回のデモには賛同しかねる。しかしデモ自体は否定しない。

  まず、安倍晋三という政治家に僕が期待してたのは、拉致問題の解決と憲法改正の布石を打つコトこの2点のみ。現時点でどちらからも逃げているので糞だ。彼 は、USにおだてられ調子にのらされ、都構想の住民投票の経緯を観て、こんな2項対立する国民性では憲法改正は不可能だと踏んだのだろう。
  だとしても解釈憲法なんて国民を愚弄している。
  憲法とは、国家権力に対する国民からのオーダーである。
  国家権力サイドが勝手に解釈するのはファシズムに近い。
  僕は集団的自衛権とか存立危機とかの定義の前に日米安保の見直しが必要だと考える。冷戦も終了し世界の構図が変わったのだから一旦日米同盟はチャラにして 考えないと無条件で同盟継続はおかしい。前提が違うからだ。僕は日本は日本で自立した軍隊や軍事産業を持つコトや核兵器保持の議論も外交も含めて そのうえで国家を形 成すれば良いと思っている。沖縄だけに限らず基地も自衛のための基地は必要だが米軍の戦略のための基地は要らない。
  そもそも僕はここまで大国となった中国が日本と戦争になるコトはまずないと思っている。あるとしても世界戦争や核戦争になるから米軍基地くらいではどうし ようもない、安全保障されない。尖閣の件はエネルギー絡みで少し波乱含みだがフォークランド紛争を思い出せば局地戦だろうからこの点のみどうする かが課題で、辺野古移設の重要性は現状違和感がある。

  かといっても、様々な「反対派」がいっているコトにはほとんど賛同できない。一概に戦争法案などといいだすと話の根幹が観えなくなる。日米同盟見直しで米 軍基地は 縮小しても自衛隊は今より軍備増強するしかないと思うし、 安保法制(11法案一緒クタっつうのが糞、法案クオリティが低くなるのは必然)は国際社会では当然のコトで、僕は改憲派なのでもし憲法改正できれば同様の 法整備はしなくてはいけないと思っているし、僕は道州制支持なので大阪都構想も手放しで賛成ではないが反対派のいっているコトでは子どもに負担を 強いると考えているし、原発もなくすコト前提でどうせ廃炉まで 維持しなくてはいけないなら動かさないより動かす方がいいと思っている。反対反対 ではハッピーになれないよ。

  しかしながら、 SEALDs的な非暴力のデモ は画期的で素晴らしいと思うしアーティストやクリエイターがそこに参加するコトもまぁ良いコトではないかと思う。
  やはり、若者や何かを創るヒトたちは権力から自由を勝ち取るべきで、彼らはその流れをつくっていると思う。
  現実は様々な事情でなかなか進まないのは仕方ないがこういう思想を訴え続けるコトで現実が少しづつでも善い方向へ修正されていくのだ。なので、現実的では ないといわれても活動するコトはだいじなのだ。
  できればデモではなくウッドストックのような「表現」で行動して欲しかった。ウッドストックは社会を変えた。表現で「壊 す」のだ。


  何より下劣なのは手順を間違った現内閣ではなく、若者の行動にのっかった野党や旧い政治家や旧態依然のセクト的左翼だ。しかも若者 を扇動しようとしている。糞だ。
  今回、内閣は随分前から安保法制を出 す姿勢を示していた、なのになぜもっと早い段階で知恵をだせなかったのか?少なくとも維新案(阿呆な分裂でポシャったが)は妥協点だったと思うし、反対 反対ではなく賛成骨抜きというやり方もあったハズだ。バラクオバマなんてこの7年、ねじれがあったにせよほとんど彼のやりたい法案は共和党に骨抜 きに された。それは共和党の知恵だし党議拘束がないUSならではで、ある意味健全だ(かな)。日本の政治家には知恵はないのか?挙げ句、若者を支持しアリバイ を つくり議会を妨害して既成事実みたくみせるという下劣さ。リベラルも地に堕ちた。
  まぁなんにせよ、今回の件で安倍晋三内閣は非常に酷い方法論を用い国民を愚弄したので退陣してもらうしかない。いっそ与野党共国会議員は総辞職してほし い。今の国会は国益になっ ていない。
  そして、SEALDsのヒトたちはホントに覚悟があるなら煽った責任もあるし是非立候補して旧い政治を「壊す」コトだ。
  もうひとつ、SEALDsは組織化しない方がいい。SEALDsの良さは各自が自立して判断して行動している、自由を担保している、なのでシングルイ シューごとに集結するのが腐らなくていいと思う。


  「守る」も「壊す」もバランスだ。
  昨今、「守る」か「壊す」かの2項対立が過ぎる。理想主義が過ぎたり功利主義が過ぎたり何かへの依存が過ぎるのだろう。
  僕はずうっといっているが、2項対立に意味はない。だって「壊す」をしてもまた創って社会や前提が変化するまでは「守る」のだ。知恵がいるしバランスがい る。

  「壊す」ヒトは「守る」ヒトに 反対するなら現状を改善する「対案を出せ」という、「守る」ヒトは「壊す」必要はないから「対案」などないという。
  確かにそうなのだ、現状を「守る」ヒトには現状維持が「対案」なのだ。
  が、「壊す」ヒトは「対案」がないなら反対するなという、これも 1理ある。
  所謂、TINAだ。マーガレットサッチャーが80年代サッチャリズムを推し進めていく過程での常套句「there is no alternative(反対するなら対案を出せ)」である。

 
  僕は思う、「守る」ヒトの「対案」と「壊す」ヒトの「対案」はレイヤーが違うのではないか?と。
  TINAの新自由主義的強引なイメージのせいで「守る」ヒトは極端にTINAといわれるのを感情的に嫌う。
  しかし、「壊す」ヒトの求めているのは「守 る」コトで向かう帰結は何かという理由を問うているだけなのではないか?
  となれば、「守る」ヒトは「壊す」コトなく、こうハッピーになるというロードマップを示せばそれでいいハズなのだ。
  「守る」ヒトが示さないから「壊す」ヒ ト は「壊す」しか目的がなくなりオトシドコロがなくなってしまう。そして2項対立になる。
  「守る」ヒトは平穏に暮らしたいトコロをいきなり課題設定されて感情が乱されて気分は悪いだろうが、「壊す」ヒトにアジェンダされた限りは同じレイヤーで 議論してやらねばいつまでたってもお互いハッピーにならない。それは昨今の2項対立すべてにいえるのではないか?「守る」ヒトの方が正論の場 合が 多いかもしれないがアジェンダがあるというコトは変化する可能性があるというコトで、今は「守る」コトができても将来はわからないのだ、ならば、 対立せ ずにコミュニケーションをとるコトがだいじだと思う。
   それが智慧というモンだろう。

  まぁ、「対案」という言葉が悪いのかもしれない。
  お互いの明日のヴィジョンを語り合いましょう、というコトだ。
  なので、「対案」をだして話をしなければ感情的に思考停止に反対反対では何も生まれてこない。ましてや独裁者と相手を罵るのは下劣だ、独裁者はTINAと はいわない。

  そういうコトを考えずに「守る」というコトを主題にしてしまっている大人が、今の社会の劣化を招いたのである。少なくともインターネットからのグローバリ ゼーションによって賞味期限の切れた島国ならではの「絆」共同体は「壊す」コトを余儀なくされ、入れ換え可能で守れないモンを「守る」大人たちに よって若い人たちの未来が摘まれていっているのが現状である。
 
  僕は、民主主義の限界、国家の限界をカンジていて、早急に共同体を再構築しないと旧い劣化したモンが多すぎて不自由になっている、このままでは誰もハッ ピーになれないと思っている。
  なので、旧態依然の大人や組織や慣習は「壊す」しかなく、トコトンまで入れ換えれるトコロは入れ換えて、一番だいじな我々の文化のキモだけを「守る」コト で 再構築すればグローバリゼーションの波にものりながら我々の文化の尊厳も誇らしく世界に発信できるであろうと僕は考える。
  なんせ今は、「守る」ほどの価値もないモンをたくさん守りすぎだ。
  その例が昨今の劣化した組織の騒動だ。多くは旧いオジサンたちの権威主義であり利権構造である。政治家 も建築業界も広告業界もデザイン業界も化学業界も音楽業界もいったい誰のために何をしようとして何を守っているのだ? そんなコトしていたらアンタ らこそ入れ換えられていらなくなっちゃうんだよ。



   僕はこのようなコトをずっとこのコラムでいい続けてきた、今年に入っていよいよ目に見えて社会が崩れていると いうカンジだ。2011年の震災以降のコラム を読み返して ほしい、僕の「対案」はすでに示している。早急にこの劣化に対処して今一度創るしかない。


 
  さて、話をはじめの「自由」に戻す。
  これもすでにこのコラムで幾度も取り上げてきたが、日本は移民をほとんど受け入れていない
  僕の意見は以 前述べているので端折らせていただく。移民受け入れは今後議論案件として置いとくとして、シリアの難民問題はちょっと置いとけない。もしデモで平 和を叫んだ人が10万人いるならひとりづつ引き受けてくれたら10万人救えるのに、とこの数日思ってた。
  日本人は島国だからか移民の感覚が 乏しい(なぜか欧米人大好きなのにね GHQのせいか?)

  単一民族ファンタジーなココロの狭い日本人。外国人が流入すると治安が悪くなると本気で思っている。外国人犯罪率は外国人数と必ずしも比例していない。日 本人の犯罪 だって驚くほど異質化している。その証拠に震災の時も今回の堤防決 壊の時も空き巣など信じられない事件が多数起きている。ほぼ外国人のせいではない。
  安保法制もそうだがあまりにも考えが甘すぎるのではないだろう か?

  日本は昨年5000人ほど難民申請があってそのうち認めたのは11人シリア人は累計で3人。
  困難な理由は、難民は難民である証明をしなくてはならないコトだ。難民が迫害を 受けた証拠がなければ認めないらしい(写真とか....)。そんな馬鹿な話はない。命カラガラ逃げてきてそんな証明できるワケない。そして、下手したら本 国送還もしくは第三国へ 出国、そのヒトたちが殺され たらどう責任取るつもりなんだ?
  今、欧米の報道を見るとデザイン盗用報道や慰安婦報道やエアバッグリコール報道や原発コントロールできてない報道もあり日本の信用や世界貢献度は著しく低 下している。これも日本の 劣化を現しているのかもしれない。世界はちゃんとしていると思われてきた日本に失望している。(VWのドイツよりはマ シか....)

  僕は政府にとりあえず難民を受け入れるコトを検討してほしいと思う。難民として受け入れて国籍はとりあえずは与えず、国情が落ち着いたら帰って貰えばい い。 とりあえず移民でなくてもいいから救える命を救ってあげてほしい。

  これは対岸の火事ではない。すべてのモノゴトはリンクしている。僕らにも彼らを難民にした責任の一抹はあるのだ。
  自由な国は実はまだ世界では少ない。日本は絶妙な歴史で自由を得てしまい今は思考停止状態だ。今こそホントに世界が自由を求めている。


 
  この数年このコラムで50代オーバーのエラそうなオジサンの無責任とお気楽を糾弾してきた。彼らが30代40代の浮かれた時に、旧い共同体を改善せずオイ シイトコだけもっていっといて今になって社会を憂い動き出し旧いやり方とその地位でやりたいようにやったコトが昨今の社会の気持ち悪さを露呈して いる。
  この20年で明らかに世界は変わった。国家も社会も組織も団体も会社もありとあらゆる共同体が時代に合わなくなってきている。

  僕がオジサンたちにそのコトをいうと、お前の言うコトは現実的ではない、お前はできるのか、俺たちのやってきたコトを否定するの か、伝承しなくてはいけないモンもある、俺はがんばっている、などとウエカラ反論される。
  僕は今、もうこのオジサンたちになにをいってもムダかもな、と諦めさえある。でも、このオジサンたちのパワーもまだ必要なんだよ。
  オジサンたちの時代遅れの阿呆をうつさんようにどうやって彼らの使える部分を若い世代に伝えていくかが課題だ。

  この20年で世界が変わった、その理由こそまさにインターネットだしグローバリゼーションだ。
  どうやって日本の腐った部分旧い部分を「壊す」(トコトンまで入れ換える)か、そして日本のホントにスゴい文化や技術を必要最低限「守る」(入れ換えな い)かが鍵となる。
  オジサンは思い込みの正義と入れ換え不可能部分が多すぎて今の社会に対応できていない。
  このままではどんどん不自由で腐った社会になってしまう。この多様で流動的な世界にどうやって生きていくか.......

  僕は謙虚さと寛容さが重要だと考えている。
  ウエカラをやめてシタカラ。イヤなコトはスルーする癖。自立、シェア、インセンティヴ、再チャレンジ、などがキイワードだろうか。
 
  お気楽オジサンの阿呆をうつさんように、っていってる間に自分がオジサンになっていた。
  このトコロの社会の問題は、オジサンの「守る」利権や構造やが起因ではあるものの、それを疑いもせずのっかったのは実は我々世代(40代前半)である。
  僕は世代論は好きではないのだが、明らかに我々世代の劣化が目立つようになってきたので自分を戒めている。

  我々世代はベビーブーマーで常にマーケットと観られていたので欲しいモンややりたいコトをある程度できてきた世代だ。74年を境に少子化していくので実 は 最後のエエトコドリ世代なのだ。成人時期がバブル崩壊と重なって就職氷河期などネガティヴなイメージの中で自分たちは恵まれてい ないと自虐的にカンジがちだ。その割に親などからの恩恵があるので意外とそこそこ満足できる暮らしをしてきている。そのせいか、団塊世代や新人類 世代よりも緩く生きるコト に美徳をカンジ社会を創る気概は少ない。ただ、やはり40代になってくればさすがに社会的責任も出てきてとって繕うように大きいコトをしようとす る。
  しかし、そもそもタチイチも明確でなく世界を知らないので酷いコトになる。佐野某などがその例だろう。何に関してもイージー ゴーイング で責任から逃げるコトが得意だ。
  思考停止な我々世代はいつの間にか我々が忌み嫌っていたオジサンになっていっている。劣化ではなくそもそも成熟していなかっ たのか もしれないね。今だにB系(旧い?)ファッションしてるやついるモンなぁ......
  今後は、地位を得るのでもっと酷いコトになるだろう。ホントは30代でそこに気づいて方向転換しなければいけなかったのだろうねぇ。今になって僕ら世代で 政治や 権利や自分の在る業界のコトを急に言い出すヤツはヤバイだろうな。僕らは何もしてこなかったのだからもう少し引いて若い衆に任せた方が良い。SEALDsに違和感をカンジ たり極端に支持したりするのは自分たちが何もしてこなかった証拠だ。僕らは団塊の余韻の中で生かされていたのだ。自立していない。 実家住まいが極 端に多いのも仕方ない。僕らも「守る」世代なのだね。

  何より心配なのは、SNSなどを観ていても今度は我々の子ども世代を同じ環境にしてしまっているコトだ。我々がされたように我々が子どもに依存している。 少子化で不遇だからと可愛がるがそれは子どものためにはなっていない。子どもを「守る」のもそこそこにしないと子どもの自立を阻害する。彼らの時 代になる頃には、数も少ないし団塊のパイがない(我々が食い散らかした)ので自立してなければ我々みたくはのほほんとは暮らせまい。
  崖から突き落とす、とはよく いったモンだよね。親の方が先に死ぬんだからね。

 

  僕 らの世代は自国の戦争を体験していない。これは良いコトだ。でも世界に生きるコトもできていないので、今後はわからない。イージーゴーイングなの で想像力がないからトリガーを引く可能性はある。特に日本の民族性は「お祭り体質」なので争いにもなりやすい。
  僕らは自由はいつも選択肢に在るモンだと思っている世界では稀な国民だ。でも国家や宗教や会社などという装置が世界を牛耳る限り自由は勝ち取らねばならな い。流動的世界に於いて「守る」コトは非常に困難なのだ。今こそ可換不可換を見極めてホントに入れ換え不可能なモンが何か観なければならな い。
 


  さて、ここまで書いておいて申し訳ないが少し奇妙な話をする。
  僕は最近お店で「1周まわって」というワードをよく使う。
まあ、リテラシーと自己決定のコトで す。
  このコラムを11年以上続けてきて、さすがに思考できるお客様も増えてきたので、活きた情報を得、問題の起因を知るコトや社会を疑うコトから 自己決定し行 動するコトでいかにイマココをハッピーにしていけるかをどう模索できるかをわかっていただけていると思う。

  あらゆる事象は見えているモンでは判断できない。いろんな角度から観ないと実在を見誤る。感情のレイヤーをめくりリテラシーがあればそれはす ぐにわかる。
  そうすると、自ずとやらなければいけないコトが観えてくるワケだけれども、ココでアイロニストの僕は今一度それすら疑う「メ タ」な想像をする。

  例えば、政治でいえば、数年前まで日本の首相は1年くらいでコロコロ変わっていた。正論をいえば、そんな無責任な国家が世界から信用されずリーダーシップ もとれず繁栄できるハズもない。でもね、コロコロと長が変わるから、他国は、日本ってそんな国だから、といって大目に見てくれていた部分もある。 現に今 回の安保法制も数年前ならUSもこんなに圧力はかけてこなかった。長期政権ならできると踏まれたのだ、TPPもそうかも。無責任な言い方だが、ちゃんとす るコトが国益とも限らないのだ。
  僕の「1周まわって」はこんなカンジ。
  思考停止はいけない。でも思考し正しい道を観たうえであえて何もしないという決定もまた選択肢なのだ。
  じゃ、五輪騒動もいいのか、安保法制もいいのか、難民受け入れなくていいのか.....散々意見を述べてひっくり返すようで申し訳ないが、活きた情報を 得、リテラシーをもって精査し、極力被害者がでない、他に迷惑かけないコトを前提に、覚悟がある決定なら僕はそれは1周まわってOKする。思考し 行 動するなら許容する。それが、自由なのだ。
  でもね、ちゃんと思考してないとサイアクやしちゃんと「1周まわって」ないと(270° とか)糞でしかない。

  ちょっと例をあげて考えてみよう。
  ○日本人は長期で休まない。でも、休日は多い方がよい。でも、オカミから祝日を決められるのはどうなの?祝日なんて決めずに国民は年間何日休めというのを 決めるくらいがいいんじゃない?っていうか、じゃ無理矢理休まなくていいよ。
  ○事故が多いから法規制を。自転車の法改正もそうだし多くの法律が、(特に日本は)タイトに作られているそれは国民を守るためという名目だが、ない方が もっと注意するんじゃないの?
  ○教育もそう。日本は識字率も高く全体としてはスゴく丁寧な教育システムだが、ウエカラの教育は子どもが自立しないしリテラシーも育たないし逆にグローバ ル社会では危険に晒してるんじゃないの?僕は飛び級導入と高校廃止して全国民国費で海外留学か専門技術習得、大学は今の100分の1でいいと思っ ている。まぁでも、それを前提にして今の仕組みで勉強できれば養育費としては安上がりかも。
  ○反原発とか戦争反対っていうのは素晴らしいけど、思想だけではキツいよね。でも僕は、そのヒトたちに一度国家運営してもらってもいいんじゃないとも思 う。(現野党以外にです) あと、原発動かさなくても発電間に合ってるのと、火力発電の功罪とがトレードオフできていないから思想以前にもう少し 検証しなきゃね。
  ○沖縄の基地は国家としては必要なんでしょう。でも、辺野古は知恵の産物とよくいうがなんか違和感あるし中国が琉球地域は自分たちのモンだというのも民族 的に観たら間違いでは ないか もしれない。どっちにしても辺野古以外にはなんらかの基地はいるかもね。北方領土も4島返還は政治的モンみたいだしどうなんだろうと思うし。でも何 もしないワケにはいかんのですね。
  ○中国が脅威というヒト多いが、確かに経済は脅威かもしれないが軍事はいくらもってってもよほどの暴発がない限り今の世の中戦争できない、それは昨今の山 口組の 抗争にもいえる。暴発して得なコトなんてないんですよ、昔の日本のようにね。

  余談だが、先日TBSの報道特集で、「知日」という中国の日本文化を紹介した雑誌の編集長 蘇静氏が、日中関係をポジだししていた。彼は、若い人は国家主義をもたない方が良い、国と国の争いはむなしい、民が政府に巻き込まれている、日中は社会の 体制や選挙の仕方も違うのだから国と国の向き合い方と個人と個人の向き合い方は分けて考えるべき、中国と日本は住む場所がちがうだけだ、といって いた。また、その番組で小学生がインタビューに答え、資源の少ない日本は国土拡大しなければならずそれが利益と利益の衝突で戦争が起こったという 認識だ、といっていたのには驚いた、小学生がだ。中国人にも思考できるヒトは多くいる、むしろ日本人より国家を利用する感覚は優れている。今 こそ、鄧小平のいった「戦略的互恵関係」で良いではないか。まぁ、因みに僕は中国人は嫌いですが.........1周まわって ね>スルーしろ よ。

  ○捕鯨は日本の文化だっていうけど、日本全土の国民がクジラ食ってたのって歴史的には長くないよね。なのに政府が主導で調査捕鯨などとごまかしてまで守る 必要あんのかな? (ただし、偽善反捕鯨団体の言い分は間違っているので賛同しない)。ただ、その土地の方々の土着文化としての捕鯨はちゃ んと守る べし
  因みに、マンハイムは、伝統主義は伝統が崩壊しているからでてくる、といっている。
  ○天然の魚はウマいっていうけど、日本海があんだけ汚染されてるなら今の技術なら養殖の方が安全じゃね?牛や豚は天然モン食わんでしょ。でも、今だけしか 楽しめないだろうから最後の天然いいかもね。
  ○USとの同盟がだいじというが、ロシアと北朝鮮と仲良くすると中国も韓国も脅威でなくなるんじゃない?中国と仲良くできればもっと国益になるんじゃな い?という議論をしている姿をUSに見せつけて安くUSに守ってもらう手だってある。核武装も議論してその姿を世界に見せればいい。
  僕は国家も会社も軍事力だって利用する装置だと思っているので思考さえできれば戦争にはならない時代だと思う(先進国のみ)。ただ、現政権は思考停止なの であかん。
  ○親に依存し同居したり親の金や影響力で生きてるような自立していないヤツは糞、と僕はよくいうが、ある程度の年齢になって親元に戻るのはイイコトだ、自 立ががあるかないか、思考してきたかどうか、をいっています。

  これもテレビネタの余談やけど、 若い人と高齢の単身者の同居を推進してるNPOがあるという、独居老人が余った部屋に学生などを家賃ゼロで住んでもらう、海外ではすでにある仕組 みで「世代間同居」というら しいが、こういうシェアハウス的な相互補助はいいアイディアだ。親族でないトコロが良い。子どもと同居よりこちらの方がいいね。

  ○不妊治療がさかんになった。素晴らしい技術だ。でも、もともと日本て血縁ファンタジーなだけでオイエのために平気で養子もらったり口減らしに養子に出し たりしてたよね。産まなくていい、でも子育てはしてほしいので養子がいい。だって施設に入ってる子はいまだにたくさんいます。
  ○日本の終身雇用や正社員制度や新卒一括採用などグローバルな社会ではむしろ人権問題になりつつある日本の旧い会社のシステムはこの20年の経済の停滞の 要因だったワケなのだけれども、まぁ、旧いヒトたちを黙らせておくにはいいシステムかもね。じゃんじゃん天引きして税金払ってもらえばいいんじゃ ない。 そこに成長はな いかもしれなくてもさ。
  それに日本の治安の良さは転職の流動性がないからだという意見もある。トラブル起こしてクビにならんようにせなあかんモンなぁ......不自由なセイ シャイン........
 
  まぁ、「1周まわって」それを選ぶのは自由へのチャレンジだ。
  僕の「1周まわって」は思考できるヒトにとっては多様性への可能性でもある。
  僕がなぜ今こういうのかというと思考停止に感情のレイヤーでモノゴトを決定してしまいすぎて社会が劣化しているからだ。
  僕は思考して行動しているヒトを尊重する。例えそれが僕と同意でなくて不快でも僕はスルーするしオトシドコロを見出す努力はする。


  僕はもっと自由にみんなでハッピーになりたいんだ。




  さて、この夏、僕はrebeccaというバンドの再結成ライブに行ってきた。
  同窓会気分のノスタルジーで行ったんだけど、見事なエンターテインメントに感服した。50オーバー世代の彼らにとってフィジカルもメンタルもタイヘンな興 行であるハズだが、魅せてくれた。
  そこにメッセージがあった。
  僕は年をとるコトはこういうコトだなと改めて思った。
  旧いヒトたちは多く語らず背中で魅せるだけをすれば良いのだ。

  「生きてて良かったね」とnokkoはオーディエンスに叫んだ。
  彼女は苦しんで生きてきた分、楽しむコトのたいせつさを伝えてくれた。





  僕らはもっと自由でいい。
  でも、ホントの自由は考えて闘わないと得るコトができないのである。
  アナタが、今「守る」モンはいつかなくなる可能性が高い。
  「壊す」コトを恐れないでもう一度創ってから「守る」コトをすればいい。
  今ソバに在るモンを疑え。
  もっともっと自由になれる。もっともっとハッピーな世界ができる。 






  僕らは自由だ。
 








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2015.9.29 修正