★2007.5.31  sevenstars (with  tony  at  english bay)

  セカンドライフ、って、ここまできたかってカンジですな。あくまでヴァーチャルなコミュニケーションに逃げるんだね、セカンドはセカンドでしかな いのに ね。ましてやティー ンセカンドライフなんて、なんか恐ろしい、ティーンズにセカンドライフは必要なのか? ティーンの現実はもっと自由でもっと楽しいハズじゃん。
  セカンドライフといえば、僕の別の人生はヴァンクーバーにあった、93〜94年だ。思えば、ロングヴァケーションだったなぁ......よく働い たけ ど.....
  カナダに行く前の僕は、ただ単純に社会を悲観しその仕組みに抵抗し漠然とした大きな夢をもったパンクな頑固者だった(今でもあんまり変わらんけ ど)。しか し、あのカナダのとてつもなく退屈でどうしようもなく呑気でいろんな民族の文化が混ざったイビツさと自由な大地に抱かれて、僕は攻撃的なやり方か ら包括し ていきながら攻めるように方法論を変えた。夢こそ挫折したもののスピリッツは同じで今も続いている。カナダが僕をひろげてくれた。だから別の人生 という言 い方は間違ってるかな、失礼しました。

  カナダと言えば、カナダ時代の友人で今コロラドに住んでるH氏からメールがきた。
  中学生の間でドラッグが流行り始めてるらしい。"チーズ" というブラックタールヘロインと市販の鎮痛剤をまぜたモノらしく1包2回分5ドルくらいで吸引式なのでバカ売れなんだそうだ。彼はテレビで知った らしいけ ど、アメリカ全土に広がるだろうとのコト。
  以前★2007.5.27 虐めと江戸っ子でも述べ たが、言 葉の持つ力は怖い。"チーズ" だとドラッグに聞こえない、いや日本では "ドラッグ" すらカッコよく聞こえてしまう、若いコはそこにハマってしまう。大人がしっかり注意しないとなぁ........ アメリカも日本も同じだ。カナダも。




  イングリッシュベイはヴァンクーバーのダウンタウンのウエストエンドにあって、そんなに長くはないが遊歩道と砂浜があり、ダウンタウンに住む小金 持ちや学 生 や老人が、さほど大きくもない都会の、さほど賑やかでもない喧噪からひとときの安らぎを得る為にやってくるビーチだ。
  ヴァンクーバーの夏の気温は25度くら いまでしか上がらないので暑くもないのだが、15度を超えだす頃からカナディアン(といっても移民の国なのでいろんな肌の色がいるが)たちは上半 身裸もし くはビキニ姿になりビーチに転がる。彼らはあまり勤労意欲がないからすぐビーチでブレイクする。
  曰く、短い夏を楽しみたい、らしいが、冬のヴァンクーバー も氷点下2度くらいまでしか下がらないしダウンタウンから30分くらいのトコでスキーもできるので年がら年中楽しんではる、そりゃ経済も滞るわ。
  かくいう 僕も2年目の夏は不法就労の帰りとプール帰りの週4.5日はビーチにいた。カナダは北海道より緯度が北なので夏はpm10くらいまで暗くならな い、そのた め仕事帰りビーチでのんびりなんてのも可能なのだ。
  6月のある日の仕事帰り、僕はトニーとイングリッシュベイにいた。

  トニーフォン(本名は発音できない)は陽気な ヴェトナム人で、難民申請で移民を希望して(戦争は彼らの 世界ではまだ続いているのだ)カナダにやってきていた。僕が働いていたオキナワンカナディアンが経営する日本食ファーストフード店のオーナーのカ ズが身元 保証人になって彼を雇ったため、僕が1つ年下(年齢の数え方が曖昧だったので実年齢はわからずじまいだった)の彼にスシの巻き方を含む日本食の調 理や味付 けを教えてやった。勤勉といわれるヴェトナム人にしては雑だし遅刻も欠勤もするしいいかげんなヤツだったがスシ以外はウマいもんをつくるし何より 言葉がお ぼつかない僕のコト を自分に重ね、兄のように慕ってくれた。
  僕が差別されてヘコんでるといつも彼は冗談を言って僕を和ませてくれた。
  カナダで日本人以外の知り合いはたくさんできたし似ているからかネイティブカナディアン(いわゆるインディアン)からも慕われたがト モダチと呼べるのは後にも先にも彼だけだった。そらぁ日本にいても元々トモダチなんてできるタイプではないのに、英語しゃべったからっていきなり フレンド リー になって社交的になるハズがないのだから当然と言えば当然だ。
  トニーとは真剣に文化を伝え合ったし酒も呑んだしいろいろ悪さもした、今思うと遊びを覚えた コトで彼はこうなってしまったんだと、僕は責任を感じ後悔もしている。
  1年ちょっと(僕は他の仕事をしたり旅にでるコトが多かったので)正確には数ヶ月彼と一緒の時を過ごした。異国での孤独感をストレンジャー同士共 有したの だ。

 
  ところで話はそれるが、ここのところ当店でよく話題になるのは、カッコイイ俳優(女優)っていないよな、ってことだ。外国人もそうだし日本人は もっといな い。ゴッドファーザーのマーロンブランドを今の俳優が演じうるのか?否、あの存在感はそうそう出せまい。

  日本でも若かりし頃のショーケンや松田優作、高倉健、三船敏郎、菅原文太などなど、今時の俳優にはない存在感があった。
  何が違うのか?
  最近の俳優、いや若いコ全般に言えると思うんだけど綺麗すぎて真面目そうでこじんまりとまとまりすぎてるのだ。スポーツも結構そういう傾向 にある。だから、記録以外でヒーローがいなくなってきたのではないか、いつも言う "カッコイイオトナ" も同じだ。
  僕個人のヒーロー(?)を例に挙げると、坂本龍馬はけして日本の未来のコトだけを思って薩長を導いたのではない、彼にはエゴもあったしあの時代に あって人 生を楽しんでいた、三島由紀夫は日本国や文学のコトも熱心になった(実際自決までしたのだ)が、俗なものや美に対して貪欲だった、ジョンレノンは ビートル ズの存在理由(役割)を知っていたので、腐ってきたしがらみを捨てるべく早く解散してドラッグと(!?)自分の音楽をやるコトで世の中にメッセー ジを伝え ようとした、プリンスも矢沢永吉もヘミングウェイも深作欣二も富野由悠季もカートコバーンもカラヤンもディエゴマラドーナも岡本太郎もジャックバ ウアー (!?)も、 共通するのは物事の本質をよく把握し忠実に実行するも自分のやりたいコトもウマく織り交ぜてなおかつ楽しんでいる点だ。とても真面目には見えな い、だから みんな世の中から少しはみ出た扱いをされてるのだ、そして、そこがカッコイイと思う。
  僕はけして、世間の多くの方々のように彼らの結果だけを尊敬してるのではなく、純粋に生き方をリスペクトしているのだ。彼らのようなヒトたちは今時のヒトの中には なかなかい ない。
  カッコイイって難しいね、せめて酒場では格好良くやって欲しいんだけどなぁ、大人だろ〜(by RCサクセション)



  この3月、ライターのMサンの希望であるビールの試飲会と飲み比べをやった時、突然Mサンが、『ヒトは何故お酒を呑むんでしょうねぇ?』と、僕に 質問され た。................. 命題である。ていうか、酒を呑むのに理由がいるのか?
  疲れを癒すとかストレス解消とか眠る為とかとってつけたような答えはいくらでもある。そこで、ファビュラスバーテンダーのワタクシ は................なんて言ったと思います?

                                              ....................................................そこに希望があるからです。

  やっぱり僕は素晴らしいバーテンダーである。超模範解答だ。
  ヒトは絶望の中で酒は呑まない。自殺する前に酒を呑む人間はいない。
  愚痴を言いながらだとしても失恋の中だとしても絶望でなくそこにあるのは希望だ。酒を呑んで結果的に絶望したり死んだりするコトはよくある が..........



  イングリッシュベイのような公の場で酒は紙袋に包んで呑む、北米のマナーであろう。僕とトニーは仕事帰りにラバットブルーとコッカニーというふた りが好き なビール をしこたま 買って紙袋 に入れてビーチに行った。彼 は街の東までバスで帰っていたし、僕は車でイングリッシュベイの対岸のキッツィラノビーチのソバに帰るので一緒に帰る事はほとんどなかったのだ が、その日 は珍しく僕が送るコトになったので寄り道をした。

  ビーチのうち上げられた丸太に並んで座り、永い夕暮れに身を預けた。

  トニーはデュミュラー(うる覚え)とかいうケベック(フランス系)のまずいタバコを僕に差し出し、ヒロのセブンスターと替えろ、と言った。僕は当 時タバコ の密輸(時効でしょ)をしていてタバコには困ってなかったのでバッグから僕の好きな日本のタバコ(ハイライトとセブンスター)をとりだして、日本 のタバコ が好きならやる よ、と言った。僕は懐から赤ラーク(発音が難しい)を取り出して火を点けて2本目のビールを空けた。トニーはセブンスターを選び封をきり、『俺は ヴェトナ ムにいた 頃からこのタバコが好きなんだ、このタバコは世界一ウマい』と言った。
  『なんでセブンスターがヴェトナムにあるんだ?』
  『ホーチミンにも売ってたのさ、ホーチミンには日本のタバコ屋がたくさんあるんだ、みんなセブンスターが一番ウマいって言ってたよ』などとイイカ ゲンなコ ト を言った(真偽は定かでないが)。
  トニーはセブンスターをイチゴのショートケーキを食べる子供のようにウマそうに微笑みながら呑んだ。
  僕たちは何本もビールを空けながら、何本もタバコを吸い、お互いカタコトの英語で夢を語り合い、なかなか沈まない夕陽を眺めた。

  希望があるから酒を呑むのだ。

  彼は移民が正式に認められたら自分でレストランを開く予定らしい。
  お前ならできるさ、と僕は言った。でもスシだけはやめとけ、ヘタくそだ、と言ってやると、
  『俺がつくるのはヴェトナムスシだ、心配するな』と、またイイカゲンなコトを言った。

  残念ながらトニーはシティズンシップは手にしたものの、レストランを開くコトはなかった。
 
  95年の6月に僕がヴァンクーバーに戻った時には彼はこの世にいなかった。
 
  ホントはトニーを、トニーの純粋な優しさと楽しく生きる力強さをリスペクトしていたのだと僕は彼を亡くしてはじめて気がついた。
 
  僕はイングリッシュベイにひとりで座り、トニーの声を思い出しながら、セブンスターに火を点け、永い夕暮れの中で虚無感に、泣いた。
  アイツの人生はいったいなんだったのだ?..............


  今、僕はタバコを吸わなくなったが、この季節になるとセブンスターが欲しくなる。



 
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