★2005.10.31 12年前
12年前の丁度今時分、僕はバックパックを背負いグレイハウンドのバスで周遊券を利用してカナダを横断しニューヨークで折り返し帰路につくとい
ういわゆる貧乏旅行をしていた。長い長い一本道をバスは何日も走り続けた。僕は古い中古のウォークマンでエリッククラプトンとブライアンアダムス
とトムウェイツのカセットテープを何度も交互に聴きながら窓の外の変わらない風景を眺めた。宿泊費をうかすために移動はいつも深夜便で窓の外は2
色の暗闇、つまり360度暗闇の地平線で、空には降り出しそうな夜空が一面に広がっていた。あまりの星の多さと輝きに星座すら埋もれてしまった。
オリオン座を見つける(なかなか見つからない、それは普段見ているオリオン座の見なれない完全形だからだ)、しかし一度見つけると夜中じゅう見
失うコトはなかった、なぜなら、オリオン座が僕のバスについてくるからだ。何時間も何時間も頭の上にオリオン座があった。
淋しかった。孤独の中で僕は見失いそうな自分をくい止めた。バスは走り続けた。
1993年から1994年にかけて僕はヴァンクーバーという街に住んだ。ワーキングホリデーというビザを取得し、最初の数週間ホームステイをし
つつ語学学校で学んだ。その後ユダヤ系カナディアンからベースメントの部屋を借り、10万円でチャイニーズから車を購入して保険に入ったらたらカ
ネが底をつき、就職活動をすると言いながら現実逃避の如くビーチで昼寝をする毎日を過ごしていたら、ひょんなこコトから沖縄系カナディアン経営の
日本食のコックの職に就くコトとなり、カンボジア人移民や難民申請中のユーゴ人やヴェトナム人や徴兵から逃げてきたコリアンや日系移民のヒトたち
と働いて生計を立てた。様々なヒトに出会い、いろんなイイコトもワルイコトもし、何度も国境を超え、何度も引っ越し、いろんな酒を呑み、いろんな
人種と接し、一部のヒトたちから少しの差別を感じながらもいろんな仕事をした。やりたいコトがあったのでビザが切れてもなお働き続けた、しかし、
いくら働いても賃金は少なく夢は遠い彼方にあった。 今になってみるとわかるが当時の僕は大きな夢はあったがそれを実現させる貪欲さがなかった、
現実の苦しみに追われ異文化的俗世界の楽しさの中に溺れていた。
世界の中では僕はちっぽけな存在だった。孤独だった。オリオン座は僕にそれを教えてくれた。
そんな12年前............永い旅の途中、何度も大好きだった祖父母にエアメールを出した、まだふたりとも存命だった。
祖母は誰からも愛される人物で葬儀もたくさんの人々が訪れ別れを惜しんでくれた。彼女は僕に、『 ヒトと仲良くしなさい、縁を大切にしなさい
』と教えてくれた。
祖父はいつも僕に、『 ニンゲンはいつも独り、誰にも頼らず強くなれ 』
そう言って嫌われて孤独に死んだ。祖母の死の7年後だ。
晩年、祖父と祖母は喧嘩ばかりしていた、お互い身体がいうコトきかなくなったいらだちと祖父の口の悪さ(僕の毒も遺伝かも知れないな...)
からだ。そして今、同じ菩提寺の同じ場所にふたりは眠っている。
結局、ヒトは孤独なものだ。(それは現実、故に強さも必要だ)
だからこそ、ヒトはちゃんと関わり合い、コミュニケーションを大事にし優しく生きていかなければならない。そうすれば争いもきっと減るさ、僕は孫にそう話
そう。
オリオン座にとっては12年なんて瞬きする間もない " 時 "
だろうけど、僕はその12年で少しは何かを得たんだと思う。そう信じたい。12年前と同じ空を見上げて、久しぶりに孤独な気分で涙をこらえた。