★2005.7.1  善と悪  

 まずは言い訳から............
  確定申告や各書類の整理など、お店を運営していると通常営業時間以外でやらなければならないコトがたくさんあるうえに、本年は例年よりも更にスローなので いろいろ考えるコトも多い、それと愛機 i book の故障など、複数のワケあって更新が遅れてしまいました、少ない乍らもこのページを応援していただいている方々にはご心配おかけしました。

 正直、書くという作業は、僕にとって苦痛極まりない。自分をすり減らすというか、身を削るというか......  しかし同時に、書くという作業は、普段、人生をエエカゲンに生きる僕にとって、立ち止まって考え 見直せる良い機会でもありその点に於いては楽しい一面もある。
 最近、様々な方々のブログなるものを読ませていただくコトが多いが、どれをとってみても引き付けられる魅力に満ち満ちていて感服させられるモノ ばかりだ。僕は日記をつける習慣というか才能(であろう)がない、定期的に文章を書くなんて定期的に腹筋運動をするよりむずかしいにきまってる。 だから僕はブログを書くヒトには憧れるワケだが残念ながら今のところこのページが精一杯、もう少し文章をうまく書けるようになって自分の中で何か が動き、表現できるようになった時には、是非、ウェブログに挑戦したい。

 では本題。
 始めに言っておくと、どちらかというと僕個人はノンポリシー(店はルールの塊だけど)で特別な主義主張も特定の宗教も持たないし持つ気も今のと ころはない。にもかかわらず僕が強い意思を持ってるようによく感じられるのは、僕の判断基準に依るものかもしれない。僕は純粋に "イイコト" と "ワルイコト" つまり "善と悪" を認識したいだけのヒトだ。
 このところの大きな列車事故、爆弾殺人、相撲界のモメ事、アジアの反日感情、ニートたちの憂鬱など、"善と悪" の微妙な価値規範の話題も多い。当然、僕もいい歳になってきたので全てのモノごとが "善と悪" でおさまりきらないコトもわかっている、"必要悪" もあれば "ついてもいい嘘" もあれば "偽善" "矛盾" があるのも知っている。しかしながらそれらですらどちらかには一応属している。つまりこういうコトだ、
 
 『今日の大阪市の天気は概ねアメです、でも市内の桜川界隈の今夜はハレるでしょう。』

 

 

 価値観の相違というのは単に逃げ口上で前提である、ニンゲンふたり集まれば争いが起こりうるモノだ。だから価値規範や秩序というのはニンゲンた ちが積み上げていくもので、冷静に様々な意見や要因などを見極めて判断すればおのずと正しい道は現れる。それが正論。
 正論というと右寄りに見られがちだが正論は真実であって屁理屈ではない、政治や思想に左右されてはならない。最近のベストセラービジネス書の著 者が正論をふりかざす上司や抽象的な話をする上司はいい加減だとか書いておられたが、正論を言えない上司なんかについていく部下の方が可哀相だ し、正論から何かを見い出せない部下の方が問題だ。ああいうきめつけのビジネス書や情報誌を読むヒトたちって自分でそういうのを判断できているの だろうか? コワイネ......
 以下は昨年8月のこのコラムに書いたコトだ、ではもう一度、
『歴史の多くは歪められて伝わっている。
 現代の新聞のほとんどが片寄った独自の主張を読者におしつけているように、各時代の歴史書も当時の権力者の正当性を高めるために書かれている、 だからめんどくさいコトに様々な資料などからいかに真実を見いだすかが読者に委ねられるコトとなる。何者かの意思が反映された一定の主張や歴史を 判断できない人々に促すのは、ジャーナリズムに反するし救済のない宗教と同じである。
 真実はひとつだし我々はその真実を知らないと知らず知らずに誰かを傷付けてしまうのだ。
よくヒトの悪口を言ったり推測や決めつけでヒトを誹謗中傷する方がおられるが、大げさにいうとそのような予断や偏見が、差別を生み世の中を歪め腐 らせていくのだ。』
 
 正論。

 "何らかの権力をもつ者" (例えば、国家、企業、金持ち、プライドの高いヒト、相撲とりの兄弟など) の多くは己の利益の為、政治の為にその力を行使する。たいていの場合その権力に泣かされるのはいつも "民" (例えば、国民、個人、庶民、欲のない正直者、相撲ファンの僕など) である。
 僕は資本主義社会、競争社会に生まれ育ったので多くのビジネスに於いて多少の犠牲が発生するのは仕方ないと思っている、実際そうやって社会は進 歩してきた、しかし、昨今の列車事故や歴史問題、相撲界のスキャンダルのように政治的に権力サイドの利益の為に罪もない "民" や "人々" が傷つき苦しめられるのはひどすぎるように僕は思う。
 カネやプライドや予断や偏見や嫌悪や憎悪なんかが真実を曇らせるんだね。
 個人主義の尊重のしすぎか、教育の仕組みが機能していないのか、食べ物が悪いのか、近所のコワイおっちゃんがいなくなったの か......... もっとよく冷静に現実を真実を見て考えればもっとシンプルにもっとハッピーになれるのにね。
  "善と悪" の区別くらい成熟した大人ならできるハズなのにね、ホント、コドモみたいな大人ばかり、っていうか自分でわざとにコドモみたいにふるまって責任逃れした り、ホントはただのズルい大人なのだ、そういうヒトたちに限ってプライドが高いクセに他のヒトが傷ついてるのを見て見ぬふりをした りして逃げるんだ。
 尊敬できる大人って何処へ行った?

 当店をほとんど無休で運営しているのには由来がある。
 僕は今まで何名かのバーテンダーにスキルを提供してきたが、彼等に観るコトを勧めている映画がいくつかある、"スモーク" と "ブルーインザフェイス" もそれに含まれている、この2作品は姉妹作で、どちらもブルックリンの煙草店が舞台になっていて、主人公はハーヴィーカイテル演じるオーギ−レンという煙 草店の雇われ店長だ。(オオスギレンではない)
 オーギーは毎日個性的な街の人々と世間話をし、時に副業に勤しみ、無休で毎日煙草を求めてやってくる人々の為にいつも同じ場所にいる(それには いろいろと理由があるのだが.......)、とにかく結局のところオーギーの存在はバーテンダーなのだ。ヒトとの接し方、話し方、話題、視線、 身のこなし、どれをとっても煙草店をバーと遜色なく彩っている。酒と同じで煙草も必要なヒトには必要なモノ、だからなるべく毎日そこに存在してお きたいのだ。open 7days a week!
 この2作品が優れているのはそれだけではない。そこにいる登場人物たちはみな "善と悪" の両方を持っている。
 そう、それが現実なんだ。
 先ほどから正論や正義のことばかり書いてきたけど、それはミンナワカッテイルコトなのだ、誰だって悪人になりたいワケじゃあな い、カネやプライドや予断や偏見や嫌悪や憎悪やくだらない個人主義や利己主義なんかがいつの間にかヒトを傷つけてる、ヒトはみんな "悪" を持っている(僕もたくさん持ってると思う)、だからなるべく他のヒトを傷つけたり迷惑かけたりしないように気をつけなければね(僕 も努力しなきゃ)、そして最後には好き勝手生きればいいんだ。そんなコトを映画の中でオーギーは教えてくれる。
 "善と悪" が入り乱れているという点で、バーという場所も同じだ。ヒトに迷惑さえかけなければ楽しく酒が呑める、それでいいんだ。
 
 今回何が言いたかったかというと、
 "善" はよく "悪" はダメというコトではなく、すべては "善" か "悪" に属しどちらもヒトの中に混在する。それによって争いや問題が起こるのはニンゲンの世界だし仕方ないのだからしっかり現実を真実を見極めてできる限り誰も 傷付かないように、ヒトそれぞれが気をつければもう少し世の中ハッピーになるんじゃあないのか、というコトである。
 こどもの頃、『ひとの気持ちになりなさい』、『ひとを思いやりなさい』、『ひとに優しくなりなさい』って言われませんでしたか?
 もう少し自分だけの心地よさとか利益とか減らしてヒトに優しくしてもいいじゃん!
 
 今、僕は何か息苦しいんだ、こんな窮屈で歪んだ世の中で生きるのが..........


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