★2006.3.30 クレタ
ある時、天満橋という都会の片隅に2つのお店が誕生した。ひとつはニューヨーク、もうひとつはギリシャの静かな田舎の島を下敷きにし
たお店だ。前者は当店、後者はクレタというお店であった。両者の経営者はこの街のコトを何も知らずにやってきてビジネス街の運営の厳しさに驚き、
何かの縁、と話し合い共存共栄を誓った、 5年半前の話だ。
クレタというお店は、白を基調とした地中海的なのんびりした雰囲気でパスタや厳選した洋食をきっちり作ったお酒とリーズナブルな価格で尚且つ朝まで楽しめ
る、そんな素敵なお店だ。
基本的にスタッフは素人ののんびりしたオンナのコたちで、その必死さと純粋さが逆にお客を安心させた。
シェフはシャイで昔ながらの和食の料理人だったがその繊細さを洋食の中に落とし込んで多くのヒトが納得できるメニューを生み出した。僕と彼とは旧知の仲と
いうか彼は大先輩なのだが、彼はクレタに来る前の様々な苦しみを乗り越えホントによくやっていただいた、良くも悪くも職人だ。
経営者は、女性でありながら25歳という若さでこのお店を始め、いくつもの苦難を克服し素晴らしいコンセプトを創りあげた。技術も未熟で愛想がなくコミュ
ニケーションも苦手なヒトだが、彼女のお客さんに対するホスピタリティとそれを守る為のアイディアとバイタリティは、僕らの業界では昨今類を見な
いほど本質的で、十数年の経験のある僕も多くを学ばせていただいたし、実際尊敬している。彼女は飲食店の存在理由、エンターテイメント性、清楚さ
などを、少ない経験の中で直感的に理解していた数少ない経営者である。
残念ながら今日でクレタはなくなる。あえてここで彼女らの名誉のために言っておくが、お店のクオリティも売上もけして原因ではない、入居ビルの競売での予
想外出費で経営が圧迫されてしまったのが大きい理由である、しかしながら我々経営者はそういうコトも予測して資金繰りしなくてはいけない。
だから、経験の少ない経営者はついに決断したのだ。特殊でアンラッキーな事情すぎて、もし僕であってもそうなるであろう......賃貸契約飲食店の悲
哀。
いくら素晴らしいお店を創っても、儲けてやり続けてこそビジネスとして認められ顧客も満足させられる、それに我々にはヒトのライフスタイルに在るための責
任がある、やはりビジネスに求められるのは結果なのだ。正論。
では、失敗したらその店はただのエゴの塊で不必要だったのか?
けしてそうではないトコもあると思う、ビジネスとしては負けでも、僕は飲食店の存在意義のひとつに救済もあると思うし、百歩譲ってエゴだってそこに本質的
な愛があればヒトの "ココロ"
に残り、それらに救われるヒトもいると思う。利益追求で名目だけの大義を謳って情熱のないマニュアル社員がいてクソみたいな企業店が繁盛する中、僕はそん
な前述の店たちのビジネスだけでない本質的部分に非常に共感を覚える。まあだから僕もビジネスが下手なんだろうなあ........
僕は、バーが、飲食店が、好きだ。たくさんのヒトに会えるこの仕事が好きだ。情熱がなきゃこんな非効率な商売やってらんない。だからこそ情熱のあったクレ
タの彼女たちがもう一度この世界に戻ってきてくれるコトを切に願っている。
なぜなら、みんな同志だからだ。彼女たちの今後の健闘を祈ります。またいつかオモシロイコトやろう!リベンジだ!
クレタ、今までありがとう!君たちに僕は何度癒されたか......ありがとう!