★2006.7.17   頭を丸めてみて


  僕はこの4月、中学のサッカー部に入り新入部員全員が半ば強制で散髪させられた時以来23年ぶりに丸坊主にした。

  何か特別なコトがあったワケではなく、したい髪型ができなかったため、衝動的にこうなった。
よく、失恋ですか?とか、悪いコトしたの?とか、リセットですか?などと訊かれる、僕は髪型変えるのに理由などない、どれも完全否定はできないけ れど頭を丸めたくらいで人生やりなおせるなら世の中の理髪店は大繁盛するコトになるよ、きっと。

  "リセット" なんてそんなに簡単にできないし、してはいけない。

  なぜならヒトは、いろんな人々と関わり合って生きているし我々は一期一会で様々な縁を紡いで生きている、そこには何かしらの責任がある、存在理由があるの だ。折角必死で築き上げた人生をリセットするなんていろんなヒトに迷惑かけるしそれまでの自分を否定するようなもんだ。それにイチからやり直す たってある程度人格形成されてしまってるからそんなに大きく変わるコトはない、また時間をかけてよく似た選択を繰り返すだけだろう。保守的に聞こ えるかもしれないが、年齢が重なれば重なるほど何かを変えるには勇気や努力は勿論、知識、経済力、コミュニケーション能力、何より独自で新しいコ ンセプチュアルなライフスタイルが構築できない限り、引退する某サッカー選手みたいにエゴだけでリセットしたってあまり意味がない。
  リセットは必要ない、今あるものから創意工夫すれば、そんなメンドくさいコトなんてしなくても十分楽しいしハッ ピーになれるハズ、なぜなら.......

  アナタガオモッテイルホド、アナタハフコウデハナイ、マチガッテハイナイ、ナニモウシナッテハ イナイ。イマノアナタハダイジナソンザイナンダヨ。

 


  僕が遊びはじめたかれこれ20年くらい前は、世の中は非常に景気が良く、僕も今よりたくさんおカネを持ってた。バイトが終わればビリヤードやカラオケ、そ の後はバーやディスコやライブハウス、挙げ句の果てにはスナックまで夜遊びは尽きなかった。今より 20Kg !? くらい痩せていたからオンナのコにもよくモテた。DCブランドブームで上から下までブランドもんに身を包んでいた、それが当たり前だった。セールの時は百 貨店を2周したコトもあった。流行りの服を着て流行りのメシを食い流行りの酒を呑み流行りの遊びをした。ワケわからんけどそれなりに楽しかっ た.......でも何かモノ足らない。誰かの考えた流行、誰かが仕掛けたビジネス、右へならえ的強迫観念、拝金、消費そしてまた消費、それらは 今なお縮小こそしたが続いているし世の中の仕組みですらある。ただ、今思えば僕が求めているものはそこにはなかった、そこに自分はいなかった。そ れに気付いたのはつい先日、恥かしながら最近のコトだった。

  先日、新しいアロハシャツを買いに街に出た。僕は毎年流行りの色と生地とデザインのアロハシャツをだいたい決まったブランドから探すコトにしている。アロ ハシャツにも多少流行りがあって数がない分結構選択が難しい。  
  専門店でヴィンテージもんをいくつか見たが予算内でいい色とデザインのモノがなかった。ヴィンテージもんは流行を超越しているので選び易いのだが、やはり いいものはビックリする価格になるし、実は普段着にしていると古いのですぐに傷んで破れてしまう。

  その日僕は、アロハシャツを半ばあきらめつつ、街を後にしプールに行き 1Km ほど泳いで、いつもの如く立ち呑み屋へ行った。
  立ち呑み屋には数人のいつものオッサンと珍しくひとりの白人がいた。場に馴染んでいないいかにも田舎もんの白人の隣しか空いてなかったので、僕はなるべく 話しかけられないように背を向けながら入り、カップ酒とかにみそを老店主に頼んだ。間髪を入れず白人が僕に、君はカナダをよく知っているね?、と 訊いてきたので僕は驚き反射神経でつい、why not 、と答えてしまった。
  どうやら彼はカナディアンで僕のカナダのネックレスとこの濃い顔を見てネイティブカナディアンじゃないか?、と思ったらしい、残念ながら違う、と伝えると 彼は寂しそうに笑い、自分はバックパッカーで大学を休学してアジアをまわっている、アクセサリーを売って旅費を稼いでいるのだが、何かの縁だしひ とつ買わないか?、とカウンターの上に店を広げ出した。老店主はワケが分からず苦笑いし、他のオッサンらも酔っ払いのフリをしてムコウを向いた。 僕は恥かしくなってきたのでさっさと選ぼうと思った。
  ふと目にとまったのが、昔の彼女からもらったライターケースと同じデザインのシルバーのピアスと指輪だった、僕は田舎白人に、このライターケースと同じブ ランドか?と訊くと、田舎白人は馬鹿にした笑みを浮かべ、これは伝統的な模様でブランドなんて関係ない、君も知っての通りバックパッカーは高価な もんは持ち歩かない、わかるだろ、などとエラソウに言いやがったので、話すのも疲れたし、そのピアスと指輪を買ってやり、カナダ人の分も呑み代を 支払い老店主に謝罪して店を出た。老店主は謙虚に笑った、素敵なサーヴィス業的笑顔だった。
  カナダ人は出て行く僕に礼も言わずにこう言った「 have a good life, buddy!」、僕も言った「 thanx. U,too. have a nice dream!....so.......enjoy!」

  思い出のブランドもののライターケースを胸ポケットに入れカナダ人から買ったピアスと指輪をつけ、僕は再び街に戻りアロハシャツを探した。だが、不思議な コトに気に入ったシャツが先ほどの店にあったのだ、しかも、たくさん。そう、ブランドやヴィンテージに目を奪われ過ぎて気が付かなかったのであ る。そして、僕は安物のアロハシャツを数着買った。

  僕は、今までもひょっとしたらこうしていろんなモノ、コトを見逃してきたのかも知れない。青天の霹靂ヨロシク空を仰いだ。

  ブランドの良さは、商品の品質の高さや信頼感、ステイタス感にある。しかし、ブランドにはコンセプトやイメージがしっかりとあり、ただ身に付けるだけでは 何も生まれない。
  例えば、トラディショナルなスーツを着ながらミニマニズムなバックを持ちゴージャス系の靴を履く.......色合いが合っていてもどこかバランスが悪く なる、ブランドのイメージが合わないとブランドも表現しきれないのだ。同ブランド同士でもヒトに存在感がないとバランスはよくない。
  同じように、安もんのオンナがいくら高価なブランドに身を包んでも失笑してしまう、娼婦みたく脱ぐならいいけどね。" ちょいワル オヤジ " なんかも同意かな。滑稽だ。

  勿論、上を目指して先に高価なモノを買って自分をそこまで持ち上げるという方法論もあるし、バラバラなブランドを身にまとっても自然と似合うヒトもいる、 それらは希有だがやはり何か、一貫したコンセプトやライフスタイルを持っているからなせる技である。



  これだけ生きてるとそろそろ僕も自分がどんな人間か把握してきたし、常にカッコいいライフスタイルを築くように努力もしているし、なるたけエゴを捨てヒト にやさしくしようともしている、ブランドがいいとかダメとかでもないしリセット云々でもない、自分のコンセプトに従って自分の目で、ココロで選択 し情熱を持って生きれば、争い事も減りみんなハッピーになれる。
 
  きっと今人々に必要なのは、自分を知るコト、人生に情熱を持つコト、エゴを捨てコミュニケーションするコト、そしてすべてを抱括するコ ト...........



  今日も今日の為のアロハシャツを着て、いろんな思いのあるモノを身に付け、自分をしっかり見つめ、丸めた頭で気持ち良く1年ぶりに誕生日を迎えてみた。少 しは前へ進んでいると思う。




top