ひとりごと...山本裕之2008.2.22
★2008.2.22 go
go
happy day
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世の中の謎解きに飽きて 猫があくびをした
今でもあまり変わらないんだけれど、若かりし頃の僕はもっと反体制的でいかなるヒエラルキーに対しても古い慣習に対しても破壊傾向で、世界の全て
を否定し ていた。
だからといって何らかのイデオロギーや哲学や宗教に敬仰していた訳ではなく、主義も主張も持たない何も信じない純粋にネガティブな人間だった。
それ故に、この世の中の歪みを著しくも感じ、憤り、そして傷ついていた。なぜか、孤独だった。
見えない敵と、闘う術を知らずただ途方に暮れていた。絶望していたし、死にたかった。 "理由なき反抗" の如くで
"尾崎豊"的で思春期の若者によく見受けられる傾向かも知れないが、実は僕の場合もう少し本質的でそれは今も残っている当時のいくつかの文章や詩
(うた)やモノに表れている。
とにかく、当時の僕は苦しみながらもなんとか "死" を選択せずに、"生きる事" だけに執着した。
何故かというと、それまでたくさんの "死"
をみてきて、死ぬこと自体は、全ての生き物の唯一平等に訪れる事象であり、且つ、"死" ですら "生"であると感じてはいたものの、生きていなければ何も生まれないし何も変えられない、そう思っていた
からだ。
僕はこの歪んだ世の中を変えたかったし、世界に、というか、社会に押さえつけられた人々に夢を与えたかった。
だが、方向性は見えてもなお、方法論が解らずに紆余曲折した。
俗に飲み込まれたり、妥協せざるを得ない事象に、現実社会との折り合い、目標などから挫折し て 幾 度も遠回りしてきた。
今思うと、若さに信念が負けていたし、大きな風呂敷こそあったがヴィジョンがなかった。しかし皮肉にも社会を壊してこそ
変化が生まれると信じていた自分自身が社会に飲み込まれ挫折し壊れたところで面白いコトに、やっと方法論が生まれたのだ。遠回りしたからこそ見え
たのだろ う。
その方法論こそが、映画などのエンターテイメントであり、バーであったのだ。
性善悪然り、矛盾、価値観の違いも、複雑化したこの世界に在っては必然であろう、僕も多分に漏れず俗であり敢えてそれらは否定できまい。
だからこそ、この
歪んだ世の中を変えるのは、今の賢者たちが理路整然と取り組んでいる現存の、教育、国家やあらゆる社会のシステム、宗教、思想、哲学などだけでは
けしてな い。
どちらかというとそれらを踏まえてももっと必要なのはスポーツも含むエ ンターテイメントであり現実的コミュ
ニケーションな の である。(.....残念ながら最近世俗な歪みに犯されつつあるが....)
その僕の方法論のロジック自体は間違っていないと確信している。なぜなら、僕自身ほんの微力ながらも、必死で生きて何かを生み出しているし苦しん
でいる人 々の夢や希望を引き出して支えさせてもらっているからだ。
少しづつだが前には進んでいる。
以前ほど破壊傾向はなくなったし過激に変化を求めなくなったが、固定観念や既存の概念の本質的な見直しなどの基本ラインは、今も何も変わっていな
い。苦し
んだおかげで物事の本質がより解ってきたのと、ポジティブな思考に転換した事が僕を少し大人にしたのだろう、幕末の尊王攘夷論から尊王開国論への
プロセス のような感じだ。
ところで余談ながら、"固定観念や既存の概念" で思い出したが、僕たちが普段見ているものは本当に真実だろうか?本質だろうか?
例えば、
ーー中部大学総合工学研究所の武田邦彦教授が問題を提言してるように、エコは正しい方向に向かっているのか?............僕も疑問
だ。分別の デメリットの多さには閉口する。環境問 題を議論するのは大賛成だが。
ーーヒラリーかオバマかなんて日本人にとって重要か?.............何が違うのだ、同じ党でしょ、マケインの方がいいんじゃないの?
なんせ僕 ら が一喜一憂する必要ない。
ーー魚は天然がウマいってホント?.............北欧なんかや日本の山中でやってる養殖技術はスゴいしウマいよ。産地直送がいいって
のもわか らん、市 場熟成ってのもあるんだよ。グルメ通なヒトたちはわかってんだろうか。
ーー怒るべきは、選挙に行かないヤツ(行けないヒトもいるんだから!)、年金払わないヤツ、公務員たちの怠慢や裏金やヤミ専従、サブプライ
ム、モノラインにインサイダー、無意味な価格つり上げM&Aなどマネーゲーム化した金融業界や不動産業界、結局まわりまわって僕らが税金やらなん
やらでで 不利益を被っ
ている。僕は弊店の少ない売り上げの中から必死でお国の為に納税しているのだ。(..........ふう、またこの季節だ)あと小さいかも知れ
ないが車 の 割り込みもそうだ、混んでても譲り合えばトータルの時間は変わらないし渋滞の解消も早いのだ。
ーー日本に二大政党制はホントに必要か?...........二世と利権だらけで議会制民主主義ですら向いてるとは思えない。
ーーアーティストや政治家たちがプライベートで起こす諸々の事件のスキャンダル化なんてどうでもいい。..........癖のある奴らのための
仕事じゃ ない か。
ーー声の大きいヒトに悪いヒトはいないなんて言うけれど、声の大きいヒトで気の利くいいヒトも見たコトがないのは僕だけだろうか。あと、意味なく
握手を求 め る ヒトも日本ではいいヒトを見たコトがない。
ーー肝臓ガンは酒の呑み過ぎが原因だなんて言われてたが、実際は薬害のケースも多かったのだ。酒場にとってはいい迷惑だ。
まことしやかに囁かれるコトを我々はちゃんとした目を持って本質をよく見て判断すべきだ。マスの不確かな情報にネガティブに流されて自分を消費し
てはいけ ない。固定観念や既存の概念をまずはぶっ壊してみて本質的にポジティブに再構築していけばヒトはもっとハッピーになれるさ。
さて、ポジティブと言えば、数年前深夜のFMラジオを聴いていたら敬語もしゃべれないようなラッパーがこんなコトを言っていた。
『俺さぁ、カノジョをダイジにする方だしヤキモチなんかも結構妬くんだよね。そしたらカノジョと一緒にいない時は不安になっちゃうワケ。だから
思ったの は、
なんでそんなに不安になるかっつたらカノジョが浮気とかしねぇかとか、俺いない間に誰かにとられちゃうんじゃねぇかって考えてるからなの。そう考
えたら サ、つき合ってる期間あるじゃない?ほとんどアンハッピーなんだよね、心配ばっかしてっから。
でもさ、カノジョ信じて、お互いずっと愛し合ってるんだって
考えたら楽なんだよね、これが。まぁ、まだ結婚とか考えてねぇし、どうせいつか別れんなら、考えすぎてアンハッピーな期間が長いよりバカでもハッ
ピーな期 間が長い方がいいじゃん、ポジティブシンキングってヤツっしょ、これって......』
けっこう本質である。
ここに、バツイチで40才オーバーの男性がふたりいる。
ひとりは、好きな女性のタイプが明確で理想がしっかりあって、ひとりの女性と丁寧におつき合いをするヒト。もうひとりは、大まかなタイプはあるも
ののその 時のフィーリングでいろんな女性とデートをするヒト。どちらも女性を尊敬し大事になさる紳士たちには違いない。
さて、どちらがシアワセになったでしょう?
勿論一概ではないし状況によりケースバイケースだろうけど、現実には後者の男性がシアワセになったし、一般的にも比較的シアワセになりやすいであ
ろ う..........................では、なぜか。
大人になると恋愛も勢いだけではできないみたいで、前者の方は、理想が明確であるが故に女性を減点方式で考えてしてしまう。一方、後者の方はとい
うと、あ の娘のあそこがいい、この娘のここがいい、とソバにいる娘のいいトコをどんどん加点していく。プラス
志向である。理想の女性が現れた際は後者の方よりシアワセになるコトは間違いない、が、世の中それほどウマくはいかない。そして後者の方は一定の
ラインを クリアして結婚なさった。
ビジネスに於いては、理想や目標をクリアしていかなければ成功しないと思うが、コト男と女、人間関係はどうだろう、やはり、ポジティブな方法論の
方がいい ように思う。考えすぎると三島由紀夫の名作 "永すぎた春" のようになる。気楽でいいんだよね、きっと。
ところで最近若いコたちが、殺すぞ、とか、死んだらええねん、とか、死ね、とか、あんなできへんヤツどうでもええわ、いなくなったらええのに、み
たいな非 常にネガティブな言葉を身近なヒトを指して発するのをよく聞
く。僕もネガティブに反抗していた時機にそんなコトも言っていたかも知れないが、どう考えても今のコたちの言葉のニュアンスは自己防衛的というか
プライド を守るためというかあまり本質的でない気がする。
そんなコトを言ってても何も生まれてこないし、そもそもソバで聞いてるまわりのヒトをも不愉快にさせる。
いやぁーしかぁーし、驚くほどよく言ってる、それがストレス発散だとしたら寂しいね。まぁ、だったら本人に直接言ってみろっての。愚痴ですらない
んだよ ね、死 ね、って.......
話は少しそれるが、若いコたちに限らず昨今の大人たち、中でも政治家やマスコミなんかも、何の理由でヒトやモノゴトを否定ばかりしているかわから
ない。建 設的ではないし礼儀もない。
ニュースを観てても、自分の糞意見を平気で述べる自称ジャーナリストのキャスターたちが、天皇陛下、首相、大
臣、知事などのオサたちに対して尊敬語も使用しないコトがある。無論、権力者の非権力者に対する非礼(今回の防衛省の事件のように)も言語道断だ
が......
先日のNHK大阪局の女性アナウンサーもいくら高校の同級生だからと言って大阪の知事に向かって ああいう接し方は酷い。
こーんだけ世の中が稚拙で無秩序で腐っていると、僕が壊すモンがなくて困るだよなぁ.........僕はまともだと思ってる世の中に、歪んでん
だからこ んな風にやろう よ!
って提案がしたいのだ、別にオトナたちにモラルを正したいワケじゃない。ラッパーのようにもう少しポジティブでハッピーな本質を見ろってカンジだ。
フィデルカストロは、単に社会主義を受け入れたのではなく国民の為に社会主義を利用し革命を起こしたしたのだと僕はみている。だからこそ国民は貧
困に耐え ポシ ティブに生きている。"ブエナビスタソシアルクラブ"
はそんなキューバ人たちのポシティブな生き方を描いている素晴らしい映画だ、何かにいらだって本質なく否定するヒトたちに
是非観ていただきたいものですな。
フィデルカストロは先ほど引退したがキューバ国民は結果的に貧困を招いた彼をけして悪くは言わないのである。
善くも悪くも日本にフィデルのようなリーダーはいない。
そう考えると、きっと今の日本人は不安なんだ。不安だからネガティブになるし攻撃的になる。礼儀どころじゃないのだろう。
ヴァーチャルなネットのような世界に依存するのは現実からの逃げ場を見つける為だと専門家はいう、何かの "答え"
が欲しいのだそうだ。確かに "答え" は不安を消し 去る。
でもどうだろう?それはホントに正しい"答え"なのか?
ヴァーチャルな世界にはあくまで不確かな"答え"しかない、勝手な決めつけの"答え"も多い。ブログなど
の多くは消費するべく書かれ消費されるべく存在する。ヴァーチャルな世界の住人たちは自分たちを消費しているコト、依存してることにすら
気づいていない。
確かに現実の世界の消費は経済であるため必要不可欠だが、ネットの中での自分を擦り減らすだけのメンタルの消費は浪費であり垂れ流しだ。ソコに
"答え" なんてないだろう。
マイクロソフト系の何たら研究所のヒトが人間の行動や知識の全てをデータ化しその容量を試算したら、おおよそ2.83テラバイトだったらしい。今
なら15 万円 くらいで
それくらいのHDDは買えるだろう。ニンゲンがブログに毎日食ったもんや聴いた音楽や撮った写真なんかを記してプライドの高い自分の存在を見えな
い誰かに 証明しようとしたり空っぽの自分の存在理由や "答え" を探したって、たかだかそ の程度の範疇で しかないのだ。
そもそも "答え" ってそんなにすぐ見つける必要あるのかなぁ................
その点、脳科学者の茂木健一郎氏とラグビー日本代表チームヘッドコーチのジョンカーワン氏の対談は興味深い。
その対談の中でカーワン氏は、「白か、黒か、とわかるような時に判断をして
も、面白 くない」、「グレーのゾーンでいかに判断する
か、そこに 本質的な問題 が ある」、選手の判断を自主的に促すために、 いわゆる open-ended
question(答えのない質問)を投げかけるのである。それは個々の想像力を高めていく。
試合中はゲームプランにないグレーゾーンの時間も多くその瞬間瞬間はそれぞれ個々の判断でチームは動く。
スポーツも人生も同じだ。
ひとつひとつのプレイ、情報、ヒト、モノ、お店もなのだが、プランにはなくて不安だからと言ってネガティブに消費してもそこから何も生まれない。
不安なの は 皆同じなのだか
ら、自主的に判断しポジティブに加点していかないとゴールラインは超えられない。アメリカンフットボールみたいに着実に本質を見てゴールを目指し
てプレイ すればいい、結果はあとからついてくる モンだ。(イーライマニングをみろ!) そ
りゃぁ、シンドいさ、人生なんだもん。でも試合と一緒で不安だからこそ緊張感あって面白いのかもね。
僕たちはまだノーサイドの笛を聞いていない、まだまだやるべきコトはある、もっと考えろ!もっともっと考えろ!
人生の醍醐味は、この歪んだグレーな世の中で "答え"
をどうやって見つけていくか、そしていかにそのプロセスをポジティブに楽しめるかなのであ ろう。
........................................ "地獄八景亡者の戯れ"や "愛宕山"
の如く、『この短い人生の道中の陽気なコトー』、ってカンジで気楽にまいりましょうや。
今年のアウトローは、ヒトを消費しない、ヒトに消費されないバーを目指しま
す。
"答え"はその先に必ずある。
waltzing
matilda with me on "go go happy day".
2008年の猫の日に
2008.3.4加筆