山本裕之のひとりごと 2008.4.17
★2008.4.17 空がまた暗くなる
僕はあまり経験値を信じない。
正確に言うと信じない、ように、している。けして経験するコト自体を否定しているワケではない。経験するコトで事が上手く運ぶし危険予知も容易に
なるため 重要 ではある。
ただ逆に、それに頼り過ぎると突如落とし穴に落ちてしまうコトがある。意外と経験というのはやっかいなのだ。
経験値に頼るのは、今まで飲酒運転で捕まらなかったから明日も大丈夫、って言ってるようなもんなので不確定要素だらけだ。明日のコトは誰にもわか
らない。
僕はよく、弊店でため息をつく恋に悩める乙女(!?)たちに、恋
愛にケース スタディ はないんだよ、と言う。
相手も状況も違うんだから経験値を無理に当てはめる必要はない。それどころか過去の苦い思い出に邪魔されて、いい出会いを見逃してしまったり相手
の本当の 姿が見えなくなってる可能性すらある。
たぶん理想的なのは、初恋の人とだけ結ばれて他のヒトと経験もなくシアワセに一生を添い遂げるコトであろう、けれどもうすでに皆さんにはそんなこ
とはあり 得ないだろうから経験にこだわらず飛び込んでせいぜい楽しむコトだ。中途半端に経験値を重んじるから退屈な人生になる。
確かに経験によって、雰囲気でウマくいくかいかないか察しがつくのも事実だし、ある意味同じ失敗を繰り返さないためには必要なのかも知れない、し
かし失敗 を恐れていては新しいものは生まれては来ないものでもある。
ただ、危機管理という点では経験というのは必要不可欠である。
残念なコトに、平和で老化した我が国や民たちには危険な経験も少ないため、危険予知の意識が低い。
昔、オフオフブロードウェイのマチネ(昼興行)を観に行った帰りに、イーストビレッジの路地裏に入っていく日本人観光客を呼び止めて注意を促した
コトがあ
る。マンハッタンいや、日本以外の国に於いては、ワンストリートごとに世界が違うと思った方がよい、大通りから路地を眺めると確かにカッコイイし
写真(今
時のヒトたちの観光は写真だらけだ)に収めたい気持ちも良く理解できる、だが、その先にどんな危険が潜んでいるかはわからない、それは夜も昼も関
係ない。 旅馴れたヒトはそういう所は自然と避けているものだけれど............
日本では夏ともなるとノーブラの裸同然のオンナのコが夜中にコンビニエンスストアに買い物に行く、俺を犯罪者にする気か!、と思う程だ。イヤフォ
ンをしな
がら自転車に乗ってるヒトも、人前で簡単に財布を開けっ広げるヒト、車に取っ手のついたものを置き去りにするヒトもいまだにおられる。滅多に殺さ
れるコト
のない平和な国も今は昔なのにね。因みに、僕は人生で4度ほど殺されそうな危険に遭遇又は死を覚悟した経験があるが、おかげで今は臆病なくらい注
意して日 々を 送っている、と思う。
善くも悪くも日本は中途半端に欧米化してしまった。
危機管理もできない、自給自足する気もない、教育や文化なども含め意思の伝達もおろそか、なのに、自国の防衛は他国まかせ、農業政策もしないで金
融投資で
自分たちの首を絞め、教育界に象徴されるようにシステムばかり論議してなかなか前へ進まずヒトは劣化していく、モンスターなんちゃらは何かという
と訴訟訴 訟だ。
少なくとも戦前まではそれらはちゃんと機能していたのだ。
先の戦争までの日本はしっかりとシステムを構築してきた国だった。しかし、先の戦争から世界に巻き込まれ
エゴがでた、そして戦後、よき文化やよき思考を取り戻す努力をせず簡単に欧米化してしまった、失われたものは大きい。
しかも欧米化も勘違いの部分が多い。
例えば、車で事故を起こし保険会社に連絡すると、謝るな、と言われる。謝ると非を認めたコトになり裁判等で不利だから
という理由だ。
因みに、訴訟国アメリカもつい数年前まではそうであったが、近年、謝るように薦めている。なぜなら、謝らないコトで相手方は不快になって訴訟す
る、訴
訟になるとハンパじゃないお金がかかる、謝れば、ニンゲン情というのはあるもので、これくらいにしてやろうと思うワケだ。このやり方で保険会社の
訴訟費用 が激減したという。
かの "おふくろさん騒動" も同じだ、著作権がらみのスゴくビジネス的な話のようだが実は違う。
あの歌手が老人に最初に礼儀を通したら、老人も台詞くらい許してくれたろう、何のエク
スキューズもなかったらそりゃ怒る。しかも、謝罪に行って 会ってもらえないからと土産を玄関先に置いて帰るなどとは言語道断。
もし、僕なら自分が育ててもらった大事な曲を、ファンの前で唄う為に、その後の公演をすべてキャ
ンセルしてでも、老人に会ってもらえるまで何日も玄関先に座り込んで謝罪するだろう、それが老人に対する誠意だし曲に対する愛だしその曲を唄うコ
トこそ ファンに対する最大のエンターテイメントだ。
そんな戒めを老人は死して伝えたのだ。
まぁ、でも欧米化された馬鹿な日本人のコトだから誰かが著作権を高額で買い取って、誰か(黒人演歌歌手か!?)が唄って大ヒット!なんだろう
な........ 戒めよりもカネカネ。
余談だが、西洋の人々がよく挨拶するのは、文化的にみてフレンドリーだからではない、あれは危険予知の一種だ。挨拶をするコトで相手を確認する。
握手は、 手に武器を持っていないという証明だ。テーブル
マナーだってそうだ。テーブルの下に手を下げるとマナー違反だというが実は手を見せるコトでしか信用されない、何せナイフとフォークのような凶器
で肉を切
り刻みながら食べる文化だ、危険この上ない。なので、我々のようなチームワークで常々生きてきた農耕民族の末裔に文化的にも危険予知のDNAはな
いのだ。
そういえば資本主義というのはいかにも狩猟民族的だ、今まさに日本人もそっちへシフトしていっている(機能はしていないが)。世界的に観て文化が
西洋的に なっている今、危機管理だけは欧米諸国から学ばないと自分の身は守れないのかも知れないね。
でも僕は思う、僕らの文化の培ってきた "コミュニケーション"
をもっと大事にすれば、危機が起こる前に人間同士できっと解決できる、と。欧米人たちが茶道などを学んだりしているのは、逆に東洋人からそういう
ヒトを思 いやる気持ちやヒトとの距離感なんかのヒトとしてのコミュニケー
ションを 学ぼうとしているんじゃないだろうか、と。
事故や演歌歌手の件に現れるように、コミュニケーション不足が、大きな罪を引き寄せ、争いを呼び込む。あの作詞家の戒めを我々は忘れてはならな
い。
さて危機管理といえば、★2008.2.17 waltzing matilda with me
でも質問してもらった女性からまた質問があった。その他いくつか質問があったのでお答えします。
ーおすすめいただいたので何件かバーを巡ってみたのですが、いいバーに出合うどころかいつもとなりのお客さん(男性ばかり)に声をかけられて嫌な
思いをし
ます。隣におられた女性はスマートに飲んでおられましたが私だけ声をかけられます。私みたいな人間がバーにひとりで行くのは駄目なのでしょうか?
お店も迷 惑なのでしょうか?
ー
と、メールで戴きましたが貴女がどなたかわかりません。もし弊店で不快な思いをされたのなら僕の力量不足です、申し訳ありませんでした。勿論けし
て迷惑で はありません。よろしければ次回いらした時にお話しさせてください。
さて、バーでの出会いについては前 々回に書いた通りだ、男性諸君のマナーというかモラルと粋さに期待するしかない。店側もバーの存
在価値がそういう所にないとわかって もらえように 導いていかなくては。
残念ながら酒場はオトコたちの世界である。女性の社会進出が進んだからと言ってなかなか現実はそれを変える風潮にない、オトコは本能的にオンナを
求める、 通勤電車の痴漢暴行が象徴的だ。
だからといって女性は社会や酒場に出て愉しめないのか、というとそうではない。ハンデやリスクもあるだろうが女性は女性の
方法論を築けばいい。
先ほどの質問の中の "隣で飲んでおられた女性"
はきっと、無粋なオトコどもに話しかけられても凛として軽く往なされたか無視なさったのであろう。
間違っても愛想で会話をしないコトである。
余程のコトが ない限りバーで女性に気軽にアプローチしてくるオトコは糞である、遠慮なくイヤな顔して欲しい。
でないと、会話なされると合意と捉えてバーテンダーはオトコに注意をできなくなってしまうのです。
なんせ違うと思ったらすぐに帰るコトをおすすめします。
うーん、そう考えると女性がひとりで酒場に行くというのは場数がモノを言うね、まさに経験からくる危険予知ですね。
まぁ、質問の貴女は余程の美女なので しょう....................あれ、この店に美女なんていたかな?
ーチャージって何?
ー確かに曖昧な定義の料金ではある。居酒屋なら付きだし料、お通し料などといって最初に軽くつまむものがでてくるし、オンナのコのいる店ならセッ
ト料金と いって、ミネラル、氷、乾きものなどがソコに含まれる。料金もまちまちだしシステムも違う、サービス料とも違う。
バーのカバーチャージの場合はもっと定義がないが、単に席料というのが一番適していると思う。
勘違いしてはいけないのは基本的にバーでのカバーチャージはおつまみの料金ではない。カバーチャージの
ある店で何もでてこない店もあるしカバーチャージをとらないでもおつまみがでてくる店もある。そんなことだから不信感ができてみんなバーに行かな
くなるん
だ、とおっしゃる方もいらっしゃる。同じお酒でもA店とB店では値段が1000円も違うコトもよくあるのでそう言われると反論もできない。しかし
おつまみ
がでてきたり値段が安いだけが本来のサービスでしょうか?ノーチャージのお店で一杯しか頼まずに何時間も居座られる(ノーチャージのお店は一杯の
料金が高 い場合もあるが)コトもあるし、必ずしも儲けるためにカバーチャージは存在しないと思います。
ここからは持論だが、僕はカバーチャージのない店はあまり信用しない、かといってべらぼうなカバーチャージの店もどれだけクオリティが高くても同
じだ。カ
バーチャージはその店のお客様に対するひとつの意思表示だと思う。店はそれだけの金額を頂戴するからこそ日々進化していくのです。お客の側もそれ
で高いと
思ったら行かなければいい、高いと思うというコトはその程度だというコトだ、逆に行きたいと思うということはその店のカバーチャージや価格設定は
妥当だと
いうコトでしょう。チャージだけを毛嫌いするといい店には出合えないと僕は経験からくる危険予知的にそう思ってます。いい店見つけてね。
最後は質問というかお叱りのメール(若い衆からではないが......)を。
ーエイプリルフールのあれはお客に対して失礼だと感じます。
ー洒落、洒落。
心配してわざわざ来てくださった方々には申し訳なかったです、とホンの少しだけ思ってます、否、実は思ってません。結局、いらしたのはよく利用し
てくださ
る方々で、このホームページを仮想店舗と言われた長いコトお会いしてない方々(驚くコトにひとりではないのです)は案の定メールだけをいただい
た。仮想店 舗って.............
僕は失礼だとは思ってません、遊びですよ。いつもお待ちしてるんですよ、アナタを。遊びに来てね、2次元じゃない現実店舗に。
ま、どうでもいいけどね。ははは。
本当は今回 "教育"
について書こうと思ってたのだが、あまりの深いテーマに、まだ僕の中で熟してないので近々書きたいと思います。最近このコラムもちょっと堅すぎる
か なぁ........まぁ、皆さんにカッコいいオトナになって欲しいので書き続けますわ。
でないと..........この空がまた暗くなる〜 オトナだろ〜.........(RCサクセションより)
2008.4.28加筆