山本裕之のコラム 2008.5.2
★2008.5.2
明日晴れるかな........
僕はよく誤解され嫌われる。
特に、このコラムや、メールのやりとりなど、文章を書くと結構ウザいらしい。
僕もちゃんと伝えたい方なので書き過ぎる、どうもコトバが重いらしい。
本当に 文章のウマいヒトは多くを記さず相手に行間を読んでもらうのだそうだ。なるほど..........
ちゃんと分析できている、とよく評価していただくが、僕は分析や研究を目的にコラムを書いてはいない。現実を明確にし事象を細分化し分析をして
いろんな アプローチを模索し最終的に皆さんに、何かを、お伝えしてハッピーになってもらいたい。ただそれだけ。
今回も少々堅いテーマだ。僕のウザくて超長ーい文章にお付き合いいただきたい。
誤解なきよう何度も言うが、これらは包括するためだ、誰に対
しても分 析も攻撃もする気はないし何かを押しつける気もない、それで嫌われるなら仕方ない。
最近喜ばしいコトがいくつかあった。
石橋でbarをやっておられる僕の尊敬する先輩
Y氏が、以前勤務しておられた某社の後輩の方々を退職される前にご紹介いただき今も数名、弊店をご利用いただいている。非常にしっかりした会社
で、皆少し 頼りないものの高学歴のヒトたちらしく礼儀正しく真面目でよく働く。
いきなり話はそれるが、僕は自分に学歴がないので、高学歴のヒトの卑屈にになる姿やヘンにプライド高く理屈の多い所が苦手だ、彼らがヘコんだり自
己弁護を
するのを聞くとがっかりする、なぜなら僕たち低学歴の人間はヘコんだり打ち砕かれてもそう簡単に転職できないし逃げるコトもできないし悩んでるヒ
マすらな い、彼らは僕らより強い武器や地位を持つしこの歪んだ社会のために闘って欲しい、な により強くあって欲しいのだ。
Y氏の後輩諸君も多分に漏れず、なんでそうなるのかわからないが軟弱で退屈なコばかりだった、僕も常々叱咤激励してきた。
しかしここ数年、彼らの顔がいいオトナの顔になってきた。結婚や転職や病気などを含め社会に揉まれてきたからだろうか、アウトローのおかげさ、と
自負した
いトコロだが、やはりしっかり勉強して真面目にやっているからであろう、それに彼らも中堅にさしかかって後陣もできてしっかりしなくちゃいけなく
なったっ てのもあるだろう。なんしかヒトの成長をみるのは嬉しい限りだ。
そして、もうひとり。
オープン当初から来てくれていて僕も目を懸けてやってた(エラそう?)
S君は、俳優志望で数年前から拠点を東京に移してがんばっている。先日、2年ぶりに弊店に現れた。今高視聴率番組にでていてCMにもでている(本
人に許可 を取ってないのでとりあえず固有名詞は控えます)とのコト。悪いが正直知らんかった。
彼も酔ったときはオモロい奴なのだが基本的には頼りない人間だった、しかし今は違っていた。見違えるくらいいい顔をしていた。
僕は彼らの成長を誰よりも喜んでいるし彼らの中にいるコトを誇りにも思う。まだまだ彼らのキャリアはこれからが正念場だが、勝負しているオトコた
ちはいつ も素敵なものだ。
ヒトの成長は素晴らしい。
先生、あのね..........
今回のテーマは、"教育" です。
実は2006年末からずっと考えていたテーマだ。大学の教授や哲学者などの学術の専門家、法の専門家、コンサルティングの権威やOJTの講師、宗
教家、精
神科医を筆頭に医師たち、メディアの中枢の方々、食の専門家、商社のオサ、有名デザイナー、その他経営者たち、そして老人や子を持つ親たち、と、
ヒトの教 育に携わる様々な分野の有識者たちにこの1年半たくさんの話をお聞きした。
ご協力に感謝します。
とりわけ僕の親友で小学校教諭のNと僕が今一番信頼する看 護士さんの言葉には少し触発させられた。
で、結論から言うと、僕には手に負えないテーマだというコ
ト...................... なんやそれ。
しかし、彼らのお話を元に僕なりにいつもの如く包括的に放談しよう。
実は、僕が言いたいコトのほとんどは、 ★2007.5.27 虐めと江戸っ子で書いた、もう一度読み返して欲
しい。
教育と言っても範囲が広いので基礎となる学校教育から考え
てみる。
数年前、友人の結婚式の帰りに仲のいい友とファミリーレストランに行った。何の話からだったか僕はみんなに、今の学校教育は糞だ、俺は自分の娘を
できるな
ら学校になんて通わせたくなんかない、と言ったら、みんながひいた。当時子供がいたのは僕だけだったしみんなにはあまり身近ではなかったので僕の
いつもの 過激発言だととられたのだろう。
僕は学校教育そのものが本質的ではないと今も尚そう思っている。ただ、学校と言う場所に於いて共同生活をし良き友人ができたコトには必要性も感じ
るし唯一 の学校の役割であるとも思う。
僕は自慢にもならないが結構勉強のできる人間だ、しかし、当時の学校教育に疑問を感じ、一切の受験勉強を拒否した。
だから僕には学歴はない。
後悔しているかと問われれば、そうした事に後悔はしていない。けれども、現実的には僕はそうしたコトで社会的に弱者となったしおかげで今苦労して
いる。だ から矛盾しているし悔しいが娘たちには苦労して欲しくないので、彼女たちは学校教育に委ねている。現実である。
ここで説明しておかなくてはならない、この後も検証していく上で 本質的 "理想" と "現実" 社会
がどうしてもつきまとうというコトだ。
例えば、この世の中から戦争はなくなるべきだと誰もが思う、しかし、他国が攻めて来た時にマハトマガンジーの言うように武器を置く事ができるだろ
うか、自 分の親や娘が目の前で殺されるのを、人類平和のためと真理をつらぬけるだろうか。
僕は学校教育の仕組みが間違っていると感じ抵抗し行動したが、現実は学歴がないと社会的地位は比較的低くハッピーにはちょっと遠い。僕は無力でし
た。
僕が学校教育の仕組みを嫌悪していた弊害がまさに今の学力低下や人材不足に繋がっている。
今の仕組みは、昭和16年の「国民学校令」に起因する。その名はナチスドイツの「フォルクスシュクーレ」を直訳したもので、人間の規格化が目的
だったと言 えよう。戦争には必要だった。
こうして個性を非とし被教育者に選択肢をもたせない自由のない教育が始まり、戦後もこれをベースに学校教育法などの仕組みを作ってきた。
戦後、『官僚主導型業界協調体制(官導体制)』の中にあり、学校教育も官僚統制により効果的に大量生産社会を構築し高度成長期を上手く乗り越える
手段だっ
たのは認めよう、しかし、今の時代にあって官僚や公僕の腐敗が進む中、未だにナチスの教育理論を用いているからこうなってしまったのだ。
だから僕は、今の学校教育は糞だ、と言った。現場の教師たちががんばっているのはわかるし仕組みを変えようとしてる努力も認める、でも残念ながら
どれだけ 方法論を変えても方向性が変わらない限りは "理想" でしかなく、"現実" にはほど遠い。
"理想" と "現実" は残念ながら一対ではない、しかしながら対極でもない。大事なのはバランスだ。
だが皮肉な事にその仕組みを変革し理想を現実化できるのはバランスの悪い高学歴の方々だ、歪んでいるが正論だ。
今の僕ができる事はこうして仕組みの中にいる人たち、仕組みを変革できる人たちに悔しくも大声で問題提起していくしかない。
では、話題の出来事で検証しよう。検証と言うのは "現実" をみるコトだ。
昨年から全国で学力テスト(全国学力調査)が始まった。小学6年生と中学3年生を対象というのは賛否あるが、ゆとり教育の弊害とされる学力低下の
調査、対 策のためだそうだ。その学力テストを、愛知県犬山市の教育委員会が、子供たちの競争になる、と参加していない。
調べてみると、なるほど犬山市の教育長の瀬見井久氏はきっちり新しい仕組みを作り、運営コストも削り、事務的な無駄も省き教師の教えやすい環境を
生み出し
ている、これらは非常に評価できるし教師の少なさや多忙さを考えると他の自治体もそうすべきだろう。中教審や文部科学省が制度だけの改革をしたっ
て意味が
ない、僕の友人も含めて現場の教師たちはがんばっている(ホントに!)、なので僕はこの老教育長の論理や情熱はパンクだし、いいコトだとも思う。
ただ気になるのはこの教育長の "教育に国家権力が手を突っ込むとロクな事がない"
という発言だ。僕は(国家とは何か?という問題は長くなるのでおいといて)、国のために教育があると考える、国家を無視した子供のための教育なん
てあり得 ない。官導体制の悪は認めるが、官導体制の全てを否定するのは "現実" 的ではない。
非常に違和感を覚える。
役人たちがいくら本質を見れないとしても、それをないがしろにするのはあまりにも稚拙で傲慢だ、オトナならなぜコミュニケーションできないのだろ
うか。
この教育長は本当に子供たちの、この国の、未来のコトを本当に考えているのだろうかと疑問に思う、ひょっとして教師の環境のためだけに生み出した
仕組みな のでは、と穿った見方をしてしまう、そして彼こそ自身の生み出した新しいロジックに酔ってしまった のではないかと。
僕は、"現実" をみると、今回の学力テストも含めあらゆるテストは必要だと思う。(内容が問題だが....)
自分自身見つめ直せるしスキルも上がるからだ。
僕は海外に住んで一番大変だったのはヴォキャブラリーのなさだ、それは僕が受験勉強をしなかった弊害で、テストを通過してきた人々は当然、僕より
早く異国 社会に順応した。
やるやらないではない、要はどう応用していくかだ。そこを育
まねばな らない。
それに当たり前だが、社会にでて競争できない人間は生きていけない。子供のために、が、子供を甘やかしている。これは学校教育に限らずヒトを育て
るコト全 てに言えるが、ヒトは甘やかされては育たない(誉
めるのは手 段だから 別だ)。
僕がココでエラそうに言えるのは競争してきたからだし先に述べた後輩たちが成長したの
も競争しているからだ、僕は日教組の推進したゆとり教育はけして全てが間違った仕組みだとは思っていない、日教組がゆとり教育を "現実"
に落とし込めなかったのだ、F1の車に僕が乗るようなもので、仕組みだけでも競争できなきゃ意味がない且つ勝たねば生きていけない、それが
"現実" だ、オトナの勝手なロジックに子供を巻き込むべきではない、
例えそれ が "理想" 的な論理であったとしても。
違和感ついでに余談だが、日教組と朝日新聞は "現実"
がみえているのだろうか?彼らのネガティブな、子供や社会に対するアプローチが教育やこの国を混乱させているのではないだろうか。パンクですらな
い。僕は
右傾化して言っているのではない、彼らのヴィジョンが見えないのだ。彼らの時代はすでに終わっている。馬鹿げているが彼らには彼らのコンセプトで
あるべき イマジネーションもコミュニケーションも本質的ジャーナリズムも欠如してる......笑えない。
同じ教育現場からの改革でも、杉並区立和田中学校のリクルート社出身の前校長
藤原和博氏の行った四季制、よのなか科、土曜寺子屋(夜スペは問題があるかもしれないが)、地域本部の設置での日本PTA全国協議会からの脱退な
どの発想 は、犬山市教育委員長 瀬見井久氏の方法論と一部重複するが、より"現実"
的で素晴らしいと思う。もうすぐ大阪府も追随するらしい。大丈夫か。
上記は公僕の発想と民間人の発想の違いが顕著にでたいい例である。
民間の教育に対するアプローチも近年興味深く、キッザニア東京、大和ハウスのキッズゼロ、博報堂のこどもごころ製作所、トヨタなどの海陽中等教育
学校、古
くは松下政経塾もそうだったが、どれも今の公僕の発想にはない、もしあったとしても税金ばかりつぎ込んでそこから何も生まれない、京都のしごと館
みたい に。人のクオリティの低下を 民間企業の方がよく把握している。
"理想" を言えば、ビジネス界が教育をするのは大反対だ、しかし残念ながら "現実"
は人が育ってないから企業が自前でやらざるを得ない。急務ですらある。
何故公僕の彼らにはクリエイティビティやイマジネーションがないのだろう。
薬害や年金の問題も僕より高学歴で高収入の先輩方の仕業です。一流大学では人の命の重みを教えないのだろうか。あまりにも想像力がなさすぎる。
公僕たちはちゃんと学校教育を受けたハズなのに、その行いがその教養のなさや歪みを露呈している。
先日、弊店で公人らしき方々が府知事の改革について侃侃諤諤やっておられた、議論は大いに結構だ、何よりスゴく本質的で、ああこれなら改革も成功
するな、 とその時僕はそう感じた。そして彼らがお帰りの際、勿論自費でお支払いもお済みになって席をお立ちになった所でこう言った、あっタクシーチケット忘れた!.................こ
の感 覚........深夜に交通機関もなくバイクでしか通えない社会的地位の低い僕は税金払うのが嫌になった。
また先日、僕は原付で交通違反をしてしまいました。猛省しております。
二段階右折をしなければいけない所で、ちょっとイビツな道路だったので危険を感じたのでかまわず右折してしまったのです。
警官の方に、ココの場所は二段階右折すると車と近くて危ないですから何とか右折できるようにできませんか、と僕は提案した。実際スペースがなく車
が2メー
トル前を通るから怖いのです。すると警官の方が、そんなんワタシらに言われてもなんともならんで、おにいさん、国交省に言うてみぃな、それより危
ない思う
んやったらここ通らんかったらええやん..........法律は取り締まるためのものだ、みたいなコトも言われた............実話
で す........法律はヒトをハッピーにするためにあるんですよ、敬語も使わないおまわりさん。
またまた先日、某体育教諭と近所のお店でたまたまお会いして教育についてお話をした。非常に熱心に教育論を述べられた、昨今の教育改革についての
憤怒を表
された。確かに行政が現場にプレッシャーを与えている。僕は現場からもっと行政へコミュニケーションをとればいいと思ったので、じゃぁアナタが変
えるのが
最善ですよね、と激励のつもりで相槌をうったら、なんでオレが変えなあかんねん、そんなんはうえの仕事や、オレらは教えるために教師になってん
ぞ、教える
プロや、教師は職人みたいなもんや.............って、それ職人ちゃうやん..........だから行政も現場がわからんねん、あ
んな犬山 市の教育委員長ですら立派 に見えてしまう。
プロフェショナリズムをはき違えてるヒトが多い。
野球選手もそうだが、単に成果をあげる職人やビジネスライクに結果を出してお金をもらうコトがプロではない。
本来プロとは、いかに今やっているコトを突き詰め包括し創造
しそれを 伝達できる職人のコトだ、タイガースの金本知憲こそが本当のプロフェッショナルだ、彼の成績記録はさる事ながら、彼
がタイガー スを球団ごと 劇的に変えた。
残念ながら今の日本の教師たちはプロフェッショナルとしては権限が少なすぎる。結局、狭い範囲の中で職人だと思い込みながらがんばるしかない。し
かも、モ ンスターペアレンツに気を使い萎縮してしまいながら。
ホントは彼らが現場から変革できればいいのだが..............
カナダの教師は自身で教材などを生徒に合わせて選択し運営する。間違ってならないのは、一見行政が関与していないようにみえるが
ものすごく密にコミュニケーションをとっている、それは教師からのアプローチでだ。事務員は別にいるので事務作業も少ないしコミュニケーションし
やすい環 境にある。だから環境としては犬山市は間違った改革をしていない、国とのコミュニケーションの取り方が犬山市の問題だろう。
本当は成果を求められる民間人より公僕の方がいい仕事ができる環境にあるハズなのだ。
自分の仕事だけいくら情熱を持ってやっても自己満足でしかない。誰もハッピーになってない。
今回僕は学者さんたちや教育者たち、ついには公僕たちの教育に対する限界をみた気がする。
いろんな質問にお答えいただいたのにこんな否定的なコトを言うのは失礼だが、頭のいい有識者の皆さんは非常に論理的でではあるが、たいそう立派な
論理だが 言葉遊びにしか感じない。
論理やスキル、知識や経験だけでは、"理想" は
"現実" にはならない。
つまり、想像力が成熟してないしクリエイティビティがないし他人任せなのだ。学者はそれでいい、それが仕事だ、と思うだろうがそれは違う。
もっと、さかなクンを見習わねばいけない。彼はトコトン走っている。さかなクンのプロフェショナリズムと教育法は素晴らしい、どんな教育者より
も。
学校教育がこの調子だから、人材不足も必然だ。
人材の不足は少子化のせいだけではない。
ことスタッフの教育は、現代社会に於いての最優先事項である。
かと言って、ある程度でき上がったニンゲンにモノを教えるのはひと苦労である。
教えると言うのは、教える側も教わる側も自身と向き合う作業だからツラい、完璧でないヒトがヒトを育てられるのか、と壁にぶち当たる事も多々あ
る..............でもどうだろう、何かに気づいたヒトから徐々に伝えていかないと歴史が途切れてしまうよ、僕らは今歴史の中にいる
のだか ら、
僕らはハッピーな未来を創れるのだよ、どうせ完璧なヒトなんていないのだから伝える努力をもっとしなければならない、完璧に教える必要もないし、
教える事 で自分も向上する。
想像力の欠如が著しい。
想像力は日々養えるのに夢のない社会では想像もしようと言う気にならないのかも知れない。しかし、それを鍛えていかないと実社会の想像を絶するカ
ベに負け てしまう。
世の中にはたくさん不条理なコトがある。しかし不条理さを感じたコトのないヒトは、いくら不条理という言葉を教えても実感がないため理解できな
い。絶望し た人間しか絶望を知らない。それが想像力の限界だ。しかし想像
力があれば絶 望の先に 希望が生まれる。
さて長くなってしまったが、僕がこの1年半取材して感じたコトはこうだ。
☆まず全てを疑うコトから始めよう。................
自
分を洗い直してみよう。自分自身、親、兄弟、友、教育、国家やあらゆる社会のシステムやルールや秩序、宗教、思想、哲学、培って来た経験や方法論
やプライ ドさえ も............アナタの周りにあるものは本当は間違ってたり、 "理想" がすぎて "現実"
から逸脱してはいないか。
もしそうであるなら、一旦、壊してしまえばいい。本当に必要
なら自然 と再構築するハズだ。
☆自分が何も知らないというコトを知ろう。............
アナタは無知である。そこからはじめよう。
☆情報を集めよう。.................
井の中の蛙は本質を知り得ない。誰かの言葉でなく自分で引っ張る情報のコト。退屈なニンゲンには何も生み出せない。
☆自主性を養おう。...............
★2007.5.27
虐めと江戸っ子で自主性の大事さはほとんど述べたが、自分から飛び込まねば、教科書にも書かれていないし先生も教えてくれない。
もし、アナタが何か教える立場のヒトなら、何かを教えるのではなく、自分か
ら考え るコトの、想像するコトの大切さを伝えてあ げてください。
☆モノゴトをよく考えて、想像しよう。..............
相手 を思いやる気持ちは相手の気持ちを想像するコトだ。それこそがホントのクリエイティビティである。
今時のコは、 "床を掃除しなさい"
と言われると床は真面目で完璧に掃除するが、床しか掃除しない。掃除とは何か、想像しよう。床のソバの壁はキレイですか?
薬害肝炎の時の公僕たちのようにヒトが死ぬ可能性のあるリストを引き出しにしまうなんて想像力がなさすぎる。因みに想像力とは、頭の中で映像化さ
れていな いと役に立たない。ヴィジョンのあるイマジネーションが大切だ、
もっと考え ろ!もっ と感じろ!もっともっと他人に気を使え!
☆あいさつをしよう。.................
高槻市立第七中学校の例にもあるように全ての変革はココから始まるのだ。
コミュニケーションをとるコトで様々な問題は解決し危険は回
避される のだ。信頼関係を築け!...........信
頼関係を築 くコトで
虐めもなくなる。逆にコミュニケーションをないがしろにすると争いが起こる。(ネットなどの仮想コミュニケーションは除く)。縁(えにし)を大事にしよう。
☆スキルを本質的に学ぼう。...............スキルアップは誰もが努力するが、マーケティングやロジックや知識は
本質を見るた
めの道具でしかない。それらに頼ると中身がなくなってしまう。そもそもそのスキルは必要か、想像し考えてみよう、本質のないスキルは糞だ。
☆憧れるヒトを見つけよう。.............偽物を捨
て浪費を やめてとりあえずヒトから学ぼう。ヒトを尊敬しよう、先生を尊敬しよう。仁義、礼儀を尊ぼう。そして、いつかそのヒトを追い抜こう。
☆憧れられるヒトになろう。.................
明確なヴィジョンをもって、ヒトに迷惑をかけない、粋でカッコいいオトナに
なろう。 羞恥心をもって凛として生きよう。リスペクト
されるようなオトナになろう ゼ!
☆アウトローでたくさん酒を呑もう。...................
固定観念を捨て既成概念を壊していろんなものを包括し創造し楽しく生きよう。
少なくともバーにはすべてがある。
大事なのは、これらの分析ではなく、これらを包括して今の状況にどう落とし込んでいくかである。
今回教える方法論を見つけるつもりで書き出したが、教えるヒトに向かって書いた気がする。
正直、ちゃんと勉強してこなかった僕如きには今の所ココで述べたコトが限界だ。ヒト 不足を憂いてばかりもいられないのでがんばって考えてみまし
た。当分こ んなコラムは書きません。明日からまた、サイアクバーテンダーに戻ります。
あとは、ヒトを育てなければならない立場のヒトたちに委ねます。今回のコラムが誰かの何か役に立つか何か問題提起になっていれば幸いです。僕よりカシコの ヒトたちがもっともっと考えてください。
ヒトが成長してカッコよくなって、またヒトに何かを伝えていく、って見ていて気持ちいいもんだ。
明日晴れるかな.........
遥か空の下