山本裕之のひとりごと 2009.9.27 ★2009.9.27            亀が泳ぐ街


  秋風が匂う。
  そんな今日この頃如何お過ごしでせうか?
  この半年僕は、公私共に忙しく、公私共に楽しく過ごさせていただいておりました。いやあホンマにバーって場所はオモロいモンで毎日笑い転げており ます。
  今年もいろんな方々が残念ながらこの場所を 去り、そして新たな人々が新緑を思わせる風を運んでこらております。
  さて一方、世を流るる風は "祭りのあと" で、諸行無常の響きすらある。...........この国が揺れた。
  まず政治の話。
  僕は今回の選挙で我が国の国民性に少し怖さを感じた。

  今回ネット上で、質問に答えて各党のマニュフェスト(又は候補者へのアンケート)と、僕個人の意見がどれだけ合致しているか判定するサイトがいく つかあっ た。 中には自分と同意見の政治家名 まででてくる緻密なものまであった。素人にとっては大変役に立つ素晴らしい試みだ。
  ほとんどを試したが僕の結果は、年金問題等いくつかの合致はあったがどれひとつとして民主党のマニュフェストが多数を 占 めたものはひとつもなかった(自民党も少なかった)、なので、僕は民主党には投票してない。というワケで社会熱から間を置き冷静に今回の政界を観 ている。 以 下 総評。

  まず投票率が少しでも上がったコトは非常に喜ばしい。
  いつもいうように、選挙に行かないヤツは、人間としてクリエイティビティのない 誰かに甘えて生きている糞だ(行け ない人もいるのだから白紙でも投票には行くべきだ)。そんなヤツは社会にいかなる愚痴をも言う権利はない、そんなヤツは引き蘢って悲観的に生 きれば良い。

  あと、やはり2大政党ありきで制度先行の小選挙区制は危険だ。
  何度も言うが、国民がちゃんとモノゴトを考えている日本に議院内閣制の2大政党は向かないし、立憲君主で2院制の議院内閣制ですらスピードの早い グローバ ル 社会には向か ないと僕 は思 う。
  結局、実績や経験など本質を見ないで人気先行になってしまいその辺のにいちゃんねえちゃん議員が増えた、何たらチルドレンこそが国家のムダだ。選 挙は人気 投票ではない。そして、小選挙区制なので人気のある方に振り子が振れ大勝ちしちゃう。
  僕は、3つか4つの党でくっつき合って連立して重大局面ごとに国民の真意を問う仕組みか、いっそのコト立憲君主の大統領制にすればいいと思う、何 だったら 議員も 100人くらいでい い、インドなんてあんだけ人口がいて545人しか議員がいない、まあヴァルナ(カースト)があるからだが.....、にしてもちゃんと政治はなさ れて る。
  モラルさえあれば、だが、中選挙区制で地方 自治の意 見を汲み取る方がいいし比例なんて誰を選んでいるかわからんのでもっといらんな。

  それから、以前からこのコラムでも言っていた様にジャーナリズムの稚拙さが気になった。
  マスメディアのいかにも民主党が政権を獲るかの如くの報道はこの数 年国民を誘導し ていたのではないか。
  なぜなら、前首相の経済対策は方向性としては間違ってはいないし相対的にみて他もさほど悪くない。
  彼がダメ だったのは選挙を早くしなかった コトと漢字を読めなかったコトとイヤミのある態度であろう。
  確かに器ではないかも知れないが落第ではない。
  なぜかメディアは彼を正当評価してこなかった。
  このコラムでも何度か書いたが、例の大連立の一件 以降、反読売風潮か、なぜか読売も含め各紙(産経は除く)が民主党を応援し てるようにしか見えなかった。現に、選挙日前から民主党大勝報道は、毎日、朝日のテンションがやたら高かった、労組系の支持母体からだろう。
  あと僕個人で憤りをカンジているのは、維新、革命などとの報道があったが、それは命を懸けた幕末の志士たちやエルネストとフィデルにも失礼だ、本 質を 何もわかっていない。システムを破壊できない限り今回の政権交 代はリストラクチャーですらないのかも知れないのだ、システムを破壊して維新できる可能性は低いし、ましてや革命などとは烏滸がましすぎる、そこ は実は報 道にとって一番大事なトコだしきちんと伝えないといけな い。
  そんなことだから我が国のジャーナリズムは未だ成熟をみないのだ。ワイドショー的ではジャーナリズム(政治も)は成り立たない、どちらかというと 煽動する 危険な媒体 だ。

  ジャーナリズムの確立こそ民主主義国家の根幹ともいえるの である。

  最後は、何より国民だ。
  確かに民意として、腐った自民党にはもう任せたくはないし 民主党"やってみなはれ" も理解できる。自民大敗は当然だ。
  しかしその前に、冷静に民主党を検証したのであろうか?
  今の国民は超潔癖が故、汚れた自民党を嫌った。
  では、あんなトップたち率いる民主党は果たして清いのか、現首相は政治資 金が潤沢なのに存在しない人物や団体から献金を受けていたのにその件もうやむやになったままだ、新幹事長は保身の為に西松事件を与党の権力で圧力 をかけは じめているらしいし、自民党と何ら変わらない。
  マニュフェストは確かに素敵だが現実的ではないし実行するにも経験が少ない人々も多い。
  日教組や公務員などの労組系が支持母体で議員もそういう所からの出 身者が多い。
  だから自己否定はできまい(現大阪市長が良い例だ、システムは壊せない)。
  経営者やプロフェッショナルなジンブツがほとんどいないのだ。
  しかもあれだけエラそうに 言って作ったネクストキャ ビネッ トから総務大臣しか選ばなかった 国民を馬鹿にした新内閣も波乱含みだ(ホントにシステムを破壊する気あるのかね)。

  現代の資本主義国家は、プロレタリアな蟹工船感覚よ りもある程度経営感覚のあるリーダーが動かさなければう まくいかないのではないか?

  拉致問題を含め国防もあまり重要視していない、それどころか幹部の大半が旧田中派かその流れで、アメリカとの同盟を軽視し中国に媚びようとしてい る。角栄 はいいが角栄もどきは怖い、っていうか角栄もアメリカに嫌われてあの事件に至ったのだ。中国とウマくやるのはいいがアメリカともウマくやらんと、 日本は戦 えない国なんだから。
  その上、次回の参 院選までの数合わせのつもりであろうが反小泉だけの国民新党や今の社民党(社会民主党やで)を、意見が違うのにツナギでパートナーに選ぶとは、有 権者や民 主主義への冒涜(国民は民主党を選んだのだ)だしプラ イドがない。自民党がいく らダメだからといってこういう党が大勝するのは恥ずか しい。
  政党の再編できるジンブツは現れんもんかな、ガラガラポンせなね。

  まあそんなコトよりも稚拙な報道にによって誘導され流行りの如く民主党に 投票してしまうこの国の農耕民族性を、僕は少々危険だと思う。勿論、そういう風潮はこの国の文化でもあるので良い部分も沢山あるし否定はしない が。
  郵政の件のみで争った前回も、社会党の躍進の年も、この国の選挙のほとんどが本質を見ないムーヴメンタリィポピュリズムで、それを煽動したジャー ナリス トたちの責任は重い。

  因みに、先の戦争も、統治権行使を経た軍部が全ての悪の発端ではあるが、正力松太郎や徳富蘇峰というようなジャーナリストたちがオピニオンリー ダーになっ て民意の 振り子が 振れたのは見逃せまい。
  純粋な国民は、アジア諸国を独立させ欧米より大きい新しい経済圏を構築する、というような謳い文句(すべてが間違ってはいないのだが)に精査しな いでただ 酔ってしまっ た。しかも、ほと んどのジャーナリス トは自分の書いた論理に対して自己反省もなく罪を償うコトもなくA級戦犯認定されても不起訴で、結局自由の身になった(なんだったらCIAのいい なりに なった売国奴もいた)。
   つまり、右へ倣えの国民性でこの国が戦争を選 んだ。

  このま まだと小泉や橋下のような絶大な人気者や角栄や吉田のような強引な牽引力をもつ権力者が現れると国民はカンタンに付いて行ってしまう、たとえそれ が結果的 に独裁者であったとしてもだ、たいてい気づいた時には遅いのだ。
  リーダーは確かに必要だが、今のシステムと国民性では仮にそのリーダーがミスリードしててもプロパガンダを利用されれば再び戦争を容認してしまう 可能性が ある。賢いヒトたちはそう言う国民性がわかっているから、この国は軍事的議論をなるべく避けてきた。
 
   しかし僕は天皇制も核保有も憲法改正も民族問題 も避け て先送りしてきたからこそ余計に国民は考えなくなりもっと流されて国家を重んじない性質が強くなったのではないか、と カンジて いる。

  国事にタブーがあるなんて基本的にはよくない、国は国民にもっと情報を開示して国民はもっと議論をしなければいけない、みんな自分のコトだけでは なくもっ とこの 国のかたちを考えんと。
  そうすれば独裁者など生まれず国は機能するだろう。

  僕らはもっと活きた情報を得て本質的にモノゴトを判断しな くてはな らない。
  そうしないと、僕らは子供たちに何も残せないし何も伝えられない。

  けして僕は民主党政権が悪いと言っているのではない(彼らは約束したコトを実現する以外ないのだ。意見こそ違うがむしろ応援している)。
  僕は、もう過ちは繰り返したくないから、自己主張だけでで煽 動する本質を伝えないマスメディアに、流行りで 人任せでよく考えずに 現状の満足だけを基準に安易に民主党に投票したバンドワゴンに乗る有権者に、恐怖感というか危機感を抱いているのだ。
  これはホントに世論とよべるのか?
  ホントに民主主義とよべるのか?
  ホントにこんなんで新しいモンが生み出せるのか?
  それが、僕が、今回の民主党政治を圧倒的多数がチョイスしたこの国に思うコトだ。
  .........っつうか、近年コンサヴァーティヴ寄りの僕の言ってるコトこそホントのリベラルなんだよね、皮肉なもんだ。僕こそパンクだ。



  さて、本題。
  今回は、ダブルスタンダードについて考えてみた(次回テーマ予定のリストラもなのだが)、かれこれ半年推考してきた、やっと書くに至る。
  この世の中は、異なる価値観や方向性の異なる道義など2つ常識があったりするダ ブル スタンダードが多く、普段は曖昧模糊としているため気づかない。しかしこれが将来的に歪んでヒトを苦 しめる。
  ダブルスタンダードは、陰陽五行思想のようだがもう少しイージーで "人間の業" ってカンジか。
  今からそれを挙げて考察していこうと思う(また長くなりますな)。

  特に日本ではよくグローバルスタンダードとジャパンスタン ダードと いわれるように、相手国に よって価値観を使い分けているし、本音と建前を使い分けるコトでも有名だ。前述の農耕民族性こそジャパンスタンダードなのだが、なあなあでやって ソフトラ ンディングできる利点もあるが、現実逃避の感もある。
  日本はともかく海外も、政治経済は、いや、街中いたるところに2つの価値観が共存している例は枚挙にいとまがない、もはや暗黙の了解の域である。

  今回は結論を先に言うが、ダブルスタンダードは世の常だとし て、見て見ぬフ リでダブ ルスタンダードを続けてもいつかどこかで歪むのでハッピーにはならない、まず何と何が存在するかは知らねばならないし、知った上で熟慮 し、どこに着地 するかが大事である。いつもいうように必要なのはやはりバランスだ。
  

  なんで今回政治なんて堅い話から始めたかというと、僕はここ数年 『ザ・ホワイトハウス』というホワイトハウスの中を舞台にした補佐官たちと大統領の物語をずっと観ていて、国家というのは常に "理想" と "現実" の狭間での葛藤の連続(25%削減って!)で、その "理想" と "現実" こそが我々の人生にとっても重大なダブルスタンダードなのではないかと思ったからだ。どちらも間違ってないがど ちらも間違って いる、でも生 きなきゃならな い、んなカンジ。
  結構見て見ぬ振 りしてる、わからんままだと心地悪いよね。

  政治は特に複雑である。
  世論がないとダメだし、世論だけで動かすべきではない(それは未来のため)し、その上他国文化も含めいろんな価値観がぶつかり合う。
  僕は 陰謀説は好 かないが、全てを公にする事も困難な状況がでてくるのは、それが国益になるなら認めざるをえない、ヒトをハッピーにさせるために汚いコトもしなく ちゃなら ない時も あるもんだ (ジャックバウアーやな、あれは究極やね)。
  日本ではそんなに対照的な2つの事象の選択を迫られる事はない。平和な国だ。
  だからなのか日本の政治家は著しくバランス感覚が欠如している。
  その理由は カンタ ン、 哲学が浅いからだ。
  方法論をいくら講じても哲学という方向性がなければバランスは見出せず着地できない。

  それは、経済も同じで、経済に哲学のない政治家がいくら経済対策をしてもウマくはいかない。前首相に足りなかったのはソコかも知れない(『ザ・ホ ワイトハ ウス』でマーチンシーン演 じるジェドバートレット大統領は経済学のノーベル賞受賞者だ)。
  昨今の金融危機も今、各国必死で対策を講じているが多くはフィッシャー、ロバートソン、ケインズ、シュンペーター、マルクス(エンゲルス)ら(な んでそこ に高橋是清が入ら ないの か!経済学者ではないが彼の方法論こそ神である)の理論の焼き増しで、ウォール街の金融工学のクリエイティヴィティ(温室効果ガスの排出権取引は 絶対にや めるべきだ!!!!!!!!)に比べると、はや1年経つと言うのに誰 も 何も生み出せないで いる。
  それほ ど 今、各分野に新しい哲学がない。
  哲学がないから混沌の中でもがくしかない。

  宗教も哲学である。
  混沌からぬけだすためのひとつの救いだ。
  宗教を神聖化してはいけない。神聖化するなとは変な言い回しだが、宗教の多くは "真理" に対するアプローチの哲学でしかない。
  不可知論的、懐疑論的だが、この世界の "真理" は誰にもわからない。
  だからこそ、ヒトは宗教を必要とする。
  つきつめるとそれは "死" があるからであろう。
  "死への恐怖" があるから真理を欲す。教 えてくれ る "誰か" を頼る。

  しかし現代に於いては、哲学もない救済もない 宗教が あふれかえっ ている。争いすらする。近年こそエネルギー戦争が増えてきたとはいえ、未だ多くの戦争が宗教の戦争である。
  例えば僕が、何のトラブルもなく優しい気持ちで日々過ごした いと思ってもこの世の中 ではそうはいかない。

  釈迦もムハンマドもジーザスも何かに気づいたあとは、みんながハッピーになって欲しいと思ってたと思うんだけど な..............

  それぞれの教典(仏教は経典。神道自体はシンプルなので教典と呼べるものはない)は、単に、"真理" へのアプローチだ。神聖化しているのは、布教するための付加的要素である。
  僕はそれぞれの教典をここ数年いくつか読んできていろいろ考えてきた。
  イスラム教な んて宗教の中でも比較的優しい教えを説いてる(過激な原理主義者は矛盾してる様に思う)し、神道はそもそも土着で自然の理を伝えてるだけの素朴な もので "教え" などというエラそうなモンはない(神社神道がそれを歪 めているきらいはある)し、キリスト教も救済をしてる(聖書の解釈の違うせいで宗派が多すぎるのが難)し、仏教も本質を観ている(チョイスする経 典によっ てコン セプトが異なるため宗派が多すぎるのが難)。ユダヤ教も道教も特段ヒトにアンハッピーになれとはいってない、むしろみんなでハッピーになろう!、 だ。
  それぞれの祖たちは、何も知らない人間たちの本質を優しく包括してくれている。 きっと彼ら本人にお会いするとホントに尊敬できて憎むコトなんてないハズだ。

  なのに世界は、"救済" と "殺人" のダブルスタンダード。 "欲" と "道理" のダブルスタンダード。

  現代の宗教指導者たちが、社会の変化に "教え" を合わせていかねばならぬのは仕方がない。
  意見が分かれての宗派分かれも仕方ない。
  しかも現代の個々の信者には、哲学もライフスタイルもないのだからタ チが悪い、都合良く自分勝手な "真理" の解釈をはじめる(占いみたいだ、占いに救済はないが.........)。
  その時代その時代の指導者の解釈で方向性が 変わるというコトは、宗教は壮大な "伝言ゲーム" になっているのでないか。

  それ ほど伝えるというのは難しいのだ。

  信者たちは、その "教え" と "現実" のダブルスタンダードを押しつけられ、死への恐怖から(または罪の意識から)疑う余地を許されずただ祈る(唱える)しかない。
  説く側は "教典" と "現実" のつじつま合わせに 終始するが、現代人の "欲" には勝てない。バーナム効果を利用してカネを集めて権威を維持するのが精一杯。多くの宗教は信者を増やすコトや教えを広めるコトを重要としている が、活動 の中のその割合がバランス的に多い気がする(それは本来2次的3次的要素であるべきだと思うが.........)。

  何度も言う、宗教は哲学のひとつだ。
  道徳や秩序をもってハッピーに生きるコトを導き、死への恐 怖をを忘 れ させてくれ、生の方向性を示すものだ。
  ご利益や天罰や死後の世界などによってヒトを縛るものでもない。壷や仏壇を売ったり、多額の寄付を募ったり、無理矢理布教したり、新しい信者の勧 誘を競わ したり、大きな建物を建てたりするものでもない。国に 要望こそあれ政治政党を作ったりするものでもない。日本に9万近い税優遇されている宗教法人があるのもおかしい(人口の2倍の信者がいる、ええか げんや な)、税金は全て払うべきだし、頻繁に本を出版して信者に売りつけて著者である指導者が印税で金銭的利益を本人だけ得ているのもおかしい、ホント にだいじ なコトで伝えなければならないモンならタダか安価で配 布すればいい(このコラムのように........有料にしたいわ!)。
  ましてや、異教徒異宗派を攻撃したりするなんて言語道断、本末転倒である。

  お釈迦さまはこういうコトを予測されていたのだ。末法の世 になるコ トを。

  僕は(これもダブルスタンダード的だが)、現代の頼れる者のいない、秩序の崩壊した社会に於いては、ひとつのモノサシとして宗教は必要だ、と思う 反 面、宗教や国のエゴさえなければもっとみん な垣根なくハッピーになれるのに、 とも思う。
  どちらにしても、宗教の問題だけではなく、個人の哲学の熟慮、ライフスタイルの構築、アイデンティティの確立があってこそバランスがとれるのだろ う。

  何かに生かされるのではなく、自分で、生きていく、のであ る。


  とっても余談だが、先日、お客さんがテレビの話をしていて、朝までなんちゃらか、そこまで言ってなんちゃらか、なんちゃら討論かそんな番組で(僕 はテレ ビっ子です がその手の番組こそマスメディアの意見のすり込みで煽動だと思っているのでいいコト言うヒトもたまに見かけるが極力その手の番組は観ない様にして いるので 内容や経緯はよくわか らんの だが)、宗教がテー マの番組だったらしく、日本人は仏教も神道も特に信じていない、日本人は墓参り教なんだ、という意見があったらしい。なるほど、非常に共感を覚え る意見 だ。
  聖徳太子時代あたりから始まったとされる神仏習合(この当時から宗教で争いがあったんだねぇ)は、大岡裁き的やり方で神と仏を同じと解釈する(本 地垂迹) とはいかにも 農耕民族の日本人らしい方法論。
  そこには各宗教に対してのリスペクトも哲学的要素も何もない。
  ただの事なかれ的解決法だった。これこそ日本人気質だ。
  日本人は歴史 的に もこうした本質を見ない現実的なダブルスタンダードをつくり出すコトに驚くほど長けている(合理的ではないが)。いや、弁護しておくとオスマント ルコ時代 などいくつかの帝国時代は、イスラム教もキリスト教も共存共栄(なんだったら同じ建物を利用)している時期がある。そうしないと争いが絶えないと 知ったか らだろうか。ただ、十字軍の遠征とかイスラエルの建国で聖地の奪い合いしだしてから、今の様に対立の構造が深くなっている。
  話を戻すと、お盆や彼岸に墓参りしながらクリスマスを祝う農耕民族性の日本人は、島国なので異教徒異民族と極端に接する機会が少ないため、宗教と いう哲学 を 好き勝手に解釈実行できたのだ。
  それは、確かに信仰としては世界的に観ても異色ではある。
  自分なりの神か仏がココロにいて都合良く切り替わってるカンジ だ。"神" と "仏" のダブルスタンダード。
  僕の例だと、僕は自分の哲学を模索中なので宗教自体には興味がない(リスペクトはある)、ただ、祖父母ッコだったので祖父母に会いに菩提寺に墓参 りに行 く、一応仏教徒なのに輪廻転生の概念は少ない。僕は祖父母が天国にいる、否、お墓にいる気でいつも墓前で話をしている。
  まさにこれはお寺や宗派に対する信仰心ではなく(リスペクトはある)、もうこれは "墓参り教" としか言いようがない。
  お墓を通して自分の背景を、そう、祖先や歴史をカンジ、そして今に感謝し、未来を観ている。
  スゴくシンプルで荘厳で神聖な信仰が確かにソコに在るのだ。多くの日本人は少なからずこの感覚を理解してもらえるハズだと思う。
  "神" と "仏" と "墓参り" のトリプルスタンダード。............. わお




  ダブルスタンダードの話を続けよう。
  僕は最近ドキュメンタリィ映画に凝っていて、今年に入って数十本観ている。マイケルムーア("シッコ" は良かったが)や "靖国" も含め日本の戦争史など、ドキュメンタリィは 制作者の意図によってはかなり偏ったものになるのだが、中にはきちんとジャーナリズムに基づいた作品もある。事実は物語よりも奇なり、で、オモシ ロい。
  "ブエナビスタソシアルクラブ" などは多少の脚色こそあれ人生のバイブル的作品だし、ガスヴァンサントの "ラストデイズ" などニルヴァーナのドキュメンタリィはどれもいいし、キューバ革命を扱ったものやボブマーリーやジョンレノンやジャックケルアックを筆頭にした ビート世代 などの伝記ものも素敵な作品が多い。

   中でも、 "モンドヴィーノ" という作品はワイン業界のダブルスタンダードを見事に教えてくれる。
  ネタバレ御免だが、話はまず、カリフォルニアのモンダヴィ家(現在はコンステレーションブランズ傘下)など他十数カ国でワイン醸造をコンサルティ ングをし ているミシェルロラン氏が、ワイン業界の現状(2004年の作品)を話す。
  そして、南仏のドマガサックを造ったエメギベール氏が、テロ ワール("地味"と翻訳されていたがもっ と深い意味があるように僕は思う)の 大切さやワ イン造りに必要 な哲学を 話す。彼は言う『偉大なワインを造るのは詩人の仕事だ。それが今じゃ醸造家にとって変わられた。ミシェルロランのようなね』
  ロラン氏は言う『パーカーの遺産といえるものがあるとすれば、カーストのような階級制度を試飲という民主的な手法で打ち壊したこと。革命的さ』
  パーカーとは、ロランの友人でワイン評論家ロバートパーカーJr.氏。世界中のワインを試飲し特定のシャトーだからいいというような既成概念を壊 し全てを 100点満点方式でスコアリングし世界のワインビジネスに多大なる影響を与えた。
  日本ではあまり知られていないが、彼が昨今のワインブームの火付け役だ。しかも、知らず知らずに我々は彼を基準値に置いているのだ。
  ワイナリー側はパーカー氏から良い点をもらおうと、タンニンが柔らかく色濃く凝縮味がありスムース(まさに現代ワインの基準)といった彼好みのワ インを つくる為に、パーカー氏の親友ロラン氏をコンサルタントに雇う、ロラン氏はその方法論をワイナリーに与える、ワイナリーは既存の製法を変更して新 しいワイ ンを造る、これがまたいい点を獲得し高値で売れるのだ。
  我々日 本人がありがたがって飲んでいる高級ワインのほとんどが彼らのシステムからでてきたものだそうだ(驚くほどみんながいいと言っているヤツばかり だ)。
  エメギベール氏は言う『ワインは死んだ』と。

  こういった話は我々酒業界ではさほど珍しい話ではない。
  今やバーの棚に並んでいる有名なお酒メーカーのほとんどは世界企業に飲み込まれている。商売上あまり言いたくはないが、そのほとんどのクオリティ は毎年低 下し ていっている、当然だ、合理化やコスト削減するのだからどこかで歪む。
  バーボンなんてあれだけ種類があるのに蒸留所は数える程しかない、一カ所で造ってそれぞれのメーカー(って言えるかな)で熟成させる。
  スコッチはそこまでの合理化はしていないが、コストのかかるモルティングなどは自社でやらなくなってきている。もうテロワールとは言い難い。テロ ワールが 失われてきたのでバリエーションやボトラーズブランドで付加価値を付けるしかない、マーケット拡大のための新商品の開発である。
  パーカー氏が興したワインブームほどの世界的ムーブメントは少ないが、昨今のハイボールブーム(祝!角瓶売上2割増)やシングルモルトブーム、焼 酎ブー ム、地ビールブーム、日本 酒ブーム、ベルギービールブームなどもほぼ企業発で、流行り好きで飽きっぽい農耕民族性日本人は、知らないでまんまと餌食にされている。
  日本人はお酒を神聖化しすぎる きらいがあるからだ、それは宗教にも似ている、が、残念ながらほとんどのカリスマは意図的に作られているのだ。
  日本人はテロワールを知らない、いや、知ろうとしていない。なぜならそれは自分に哲学やライフスタイルがなく混沌の中にいるからだ、どうすればい いのか自 分ではわからないのだ。(知らない方が、何もしない方が、"楽" だという馬鹿野郎もたくさんいる)

  さて、では、ロランやパーカーや大手企業が悪で、職人たちが善なのか?......勿論、違う。
  例えばスコットランドの蒸留所のほとんどが経営難だ、大手企業が手を差し伸べないと潰れっちまう、テロワールなんていってられない、蒸留所が無く なったら 伝統は しまい だ("淘汰" と "保護" もダブルスタンダードだが)。 それ に、意図的な金儲け的なブームであろうと何であろうと文化を広めていってるコトに違いはない、ベルギービールなんてそう素晴らしい酒だとは僕は思 わんが ブーム がなければその文化を知る由もなかった。
  一方、文化や技術の伝承も重要である、企業の利益を追求しすぎて職人のノウハウを軽んじるケースが増えているのが現状だ。温故知新、余程のクリエ イティブ で ない限り新しいものは古きものを踏襲している、利益だけでマスプロダクトしても飽きられてしまい短命だ。流行りモンは消費対象にしかならないため ライフス タイ ル に定着しないし、何よりたいていはオモシロく(オイシく)ない、ホントは、そういうときにこそ職人の技術や経験や哲学が役に立つものなのだ。コン セプトの クリエイティ ビティこそ作り手 の本分だ。バーもお客さんがお金に見えてくるほどの利益優先のビジネスモデルだと、なぜだか美味しいお酒は作れないしいい店にはならないし誰も救 えないだ ろう(大手飲食チェーンがバーを作らないのもよくわかる)。
  結局どちらが欠けても生き残れな い。
  "ビジネス" と "理念" のダブルスタンダード。................. これは結構、現代社会の命題だろう。経営者はみんなこの "理想" と "現実" との葛藤だ。

  実は "金儲け" と "伝統" は、 "生" と "死" と同じで対極ではなく、表裏一体なのである。多くのダブルスタンダードは対極の様に見えて実は表裏一体なのだ。 だからこそウマくバランスを見出さねばならない、それは "ビジネス" のためでも "理念" のためでもなく "世の中のヒトみんな" のためだ。
  そんなコトを考えさせられるドキュメンタリィ三昧です。




  ダブルスタンダードは他にもたくさんある。
  今、"言葉" が乱れているとよく言われる。それを矯正しようと教育者たちは努力しているが、我々が使っている 言葉だって100年前とは明らかに変化している。  "言葉の進化" と "文化の保守" のダブルスタンダード。どちらに偏っても未来がない、流行り言葉も文化も両方大事なの だ。

  話はそれるが、少し前、とあるバーで、隣に座っておられた小太り中年男性(俺もか)が若いバーテンダー2人に漢字クイズをしていた。男性は漢字検 定の一番 難し いのを合格したらしく得意げに若造相手に設問していた。2人のバーテンダーは後輩なので僕に目で助けを求めてきた、普段なら無視するが男性のあま りの無粋 さに腹 が立ったので僕はきっちり答えてやると男性は嫌な顔をした、毒に変えるコトの得意な僕は、ところで、と切り返した、最近どんな文学読みました? と。そした ら男性はなんでそんなコト聞くのかという顔をして言った、
  『文学なんて読まない、検定の勉強で精一杯で本なんて読んでるヒマないよ』
  一同苦笑いした。
  しかし、普段使わないない資格って意味あんのかなぁ........着地点観てから必要な武器を手に入れる方がいいような気がするけ ど............バーテンダーみたいなブルーカラーにひけらかすだけより本の1冊でも読んだ方がいいと思うんだけどな、遊びにもなって ないんだ よねぇ.........
  そういえば、友人で英検1級TOEIC955点の運送屋いるけど英語喋ってんの見たコトない、めっちゃお金 かけてたけどなぁ......
  あと、家では料理しないのよと毎日食べ歩き独身女性ブロガーの通う料理教室.....
  きっとチャンスがきたらまだ何かできると思ってるんだよね、自分の可能性を信じてるんだ、エラいねぇ.......
  "実利" と "先行投資" のダブルスタンダード。っ てとこか。


  核保有反対!軍隊反対!
  ............でも他国が攻めてきたらどうする?
  僕は戦争反対で自分から攻めたりしないが、自分の子供が危険にさらされたら迷わず武器を取る。
  "核保有" もだが、議論もしないなんて明らかに現実逃避だ。例えば気の狂ったヤツが突如爆弾を持って現れても誰にも守ってもらえない。
  戦わないなら死ぬしかな い。はたしてそれだけ で世界が平和になるのだろうか?
  マハトマガンジーは武器を捨てたが、現代これだけ価値観が違う人々の混沌の中で、みんなが武装している中で、社民党や共産党の言う様に武器を捨て る勇気 は、僕にはない。
  しかし、僕は、武器を手にしてでも対話するコトで争いは避け れると考 え ている。コミュニケーションこそ最大の武器なのだ、敵対意識では何も生まれない。
  "武装" と "秩序" のダブルスタンダード。

  外国のヒトを接待して街を歩くと驚かれるのは、自動販売機の多さ、ラブホテル(欧米にはない)、どの街にも溢れ変えるエロ産業。
  ここ数年、風営法の取り締まりが非常に厳しくなってるが、闇の世界の経営する店はあまり検挙されていない、個人でやってるようなザコを見せしめ的 にやって る。
  そもそも風営法は、エロビジネスをやってはいけない、という法律ではない、警察(公安)の把握できる範囲ならやってもよい、という法律で必要悪と してエロ 産業を容認してきた、裏でやられてヤクザな世界の資金源にならないようにするためだ。その結果エロ産業が街中にできた、今や世界一だ。他国はだい たい貧困 街か その近くに売春宿があるくらいで日本のように住宅街近くなんて見たコトない。日本人はまともな恋愛もできないエロいオッサンばかりだからだ、どう しようも な い。粋さがない。
  風俗もパチンコも道交法(ねずみ取りって!!)も奇妙なシステムの中にある、警察(権力者だけ)が好きな様に彼らのさじ加減で管理している、政治 は利権も あるので触らない、人種問題と同じだ。結局国民のラ イフスタイルは無視だ。
  "白" と "黒" の間の "灰" というスタンダード。

  24時間やるチャリティ番組は偽善だ。
  でも少なからず考えるきっかけにはなる。
  "偽善" と "友愛" のダブルスタンダード。
 
  恋人の携帯電話をチェックするオンナは、"独占欲" と "正義" のダブルスタンダード。

  ホステスの結婚観。
  "華" と "幸" のダブルスタンダード。

  真実味のない、漢字も知らない女子アナのニュース番組(それを身近な存在とカンジてモテハヤすやすいオトコたち......)。
  "視聴率" と "ジャーナリズム" のダブルスタンダード。

  日本はクジラを食べる。お隣の国は犬を食べる。可愛いか可哀想か有り難うか。
  "動物愛護" と "文化" のダブルスタンダード。

  ふたりの女性を愛せるか!
  "妻" と "恋人" のダブルスタンダード。

  少子化だしグローバル社会になってきたし移民をもっと受け入れよう。
  でも外国人が来ると治安が悪くなるし文化が変わっちゃうかも。
  "開国" "鎖国" のダブルスタンダード。

  空前のランニングブームで大阪城公園は朝の4時から混雑。
  僕もがんばってジムに通っております(いっこうに痩せませんが)、でも、酒もタバコもやめる気ないし後輩たちには、エラそうにこうやって酒はヤル もんだ、 なんてカッコつけてる(因みに今僕は電動アシスト自転車で通勤してます、もうわけわからん)。
  僕の中の "佐藤弘道" と "松田優作" のダブルスタンダード。

  オトナなんやからしっかりせなあかんな。
  遊びが足らんから退屈な人間になんねん。
  "自律" "童心" のダブルスタンダード。

  『うん、そう、木は切っちゃだめだよ.........オレさ、My箸持ち歩いてるんだ.........あ、大丈夫、ちゃんと毎回洗剤できれい に洗って るから』
  "eco" と "ego" のダブルスタンダード。

   中国は "自由主義経済" と "共産主義" のダブルスタンダード。
  
ザッツエンターテインメント!やね。



  逆説的話。
  25年前、押井守の "うる星やつら" 劇場版2作目で、今いる世界は誰かの夢の中で、僕らは亀の甲羅の上の仮想現実の街で暮らしている、という話があったし、同時期のOAV "メガゾーン23" では、実はすでに地球が滅び脱出して、一番いい時代と言われた1985年という年の世界を未来の宇宙船の中に造って、我々住人たちは造られた時代 で地球が 滅びたコトも知らずに暮らしてる、とい う設定の物語もあった。マトリックスみたいなもんだ。僕らが今、生きている世界がホントの世界かなんてわからないし、ひょっとしたら神様はこの世 界で一番 悪いコトしたヤツを天国に連れてったり、なんだったらこの世界こそ地獄もしくは天国なのかも知れなかったり、落語の "地獄八景亡者の戯れ" の如き場所なら良いのだが、この世界はどこか別の世界のゾウリムシの細胞の中だったらイヤか も................  
  亀が泳ぐ街には、スタン ダード自体がそ もそもないのかもな。
  "真理" は誰も知らないからこそ "生きる" ってのが楽しいんじゃないかな。


  最後に。
  ジョンレノンのドキュメンタリィのワンシーンから。
  ある日の朝、ジョンの屋敷の庭にに若いヒッピーのオトコが侵入した。スタッフが捕まえると、ジョンが中から恐る恐るでてきてオトコになぜ侵入して きたのか 尋ねた、 オトコは、ジョンの歌うビートルズの曲の歌詞に感銘を受け人生が変わった、だから会いたかったのだ、と言って鼻唄を歌う、ジョンは、その曲はポー ルが書い たんだ、僕も一 緒に書いたけど、と言う、するとオトコは、アナタの曲はどういう意味合いを持ってるのか? と、ドラッグをやってるのか挙動不審におどおどしながら尋ねる。ジョンも寝起きだからか怖いからか(キマッてたからだろうな、きっと)、ダルそう に、
  『意味はあったり.............なかったりさ..............最新アルバムに意味が...ある』
  『誰のコトを.....思って......歌うの?』
  『...............キミのコトは思えない、........自分......ときどきヨーコが精一 杯...................いつも考えるのは、今朝快便 だったかってコトとヨーコをどれだけ愛してるかってコトくらいさ............自分の曲が他のヒトの人生に似ていて も...........い いさ、仕方ない』
  オトコは失望したのか黙り込む。すると、ジョンは屋敷の方に歩きだし、
  『キミ、腹へってるんじゃないか?』と言って小汚いオトコを中に案内し一緒に朝メシを食い、レコーディングを見学させてやり一日を一緒に過ごす。


  宗教も含め僕らは不確かないくつも異なった価値観のある世界に生き ている、誰もその真理を知り得ない、夏休みの宿題の自由研究とその答えみたいなものだ。
  僕は思う。
  不安ならまず知ろう、
  わからないなら考えよう、
  迷ったらたずねよう、
  そのうち着地する場所が見えてくるさ。
  左と右がわかった時
  はじめて着地点に向かう準備がで きる。
  勇気を出して進みはじめたらあまり気を散らさず、振り返らず、どれだけエゴを捨ててバランスを保て るかだ。
  あとは全体を見渡して、ジョンレノンのように、すべて包括す れば良い
  そうやってはじめて着地点に向かってまっすぐに進むのだ。
  道に迷ったり、立っている位置がわからなくなったらバーでひと息つけばいい、そのあと、バーから外へ出たら光が見えているハズさ。
  そうして行けばきっとみんなハッピーになれる。そう信じている。
 
 
 

   ダブルスタンダードのつじつま合わせで "中道" を求めるのは、自己満足なエゴでバランスではない。
   全体を包括して "中庸" を得るコトでこそ、みんながハッピーなバランスになる。





2009.10.1加筆



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