★2013.6.12 hey
bartender
午前0時17分。
女は坂の途中に立ち止まる。
夜空を見上げ、ため息をつき、くるりとカラダの向きを変え、傍にある赤い鉄の階段を一歩づつ上がっていく。
鉄を叩くヒールの音が闇夜に響く。
赤いレッド カーペットのような階段を上りきり、左側の大きな木の扉に身を預けながら押し開く。
闇の中に闇が現れ、男の迎えの声が奥から聞こえる。
男の声 のする方に ゆっくりと歩き、横たわる大きな木のカウンターに手をつく。
そして大きなため息をひとつ、今日もココまでたどり着いた...........
カウンターの隅にはもうひとり若い女がいた。若い女は携帯電話に照らされながら静かにジントニックのような透明な炭酸系のものを呑んでいた。
女はバーテンダーにひとこと軽口を叩き、タリスカーのオンザロックとアテにセロリだけ注文した。そして女は煙草に火をつけ今一度店内のみんなに聞こえるほ
ど大きなため息をついた。バーテンダーはこういう時には話しかけないのを女は知っていた。このバーテンダーは原則しゃべりかけられるまでしゃ
べら ないし
どんな近しい関係でも客が誰ともしゃべりたくないと察したら気配すら消す、その代わり一度話がはじまると多種多彩な情報を引き出しから拡げ恐ろし
いくらいよくしゃべる。しゃべりすぎた日はいつも自己嫌悪するらしい、以前そう言っていた。今日は気配を消している。
バーは、否、酒場は、昔は男の世界だった。
しかし女性の社会進出が進み、男たちが萎縮しはじめた頃を境に男たちは格好をつけて呑めなくなってしまった。
今やバー は女の世界になりつつある。
現にこのバーは女性の独り客が多い。深夜に独りでため息をついたりバーテンダーに恋愛相談をしている女たちは後を絶たない。当初このバーテンダーは自分が
魅力的だから女性客が集まるんだろうと思っていたが実はそうではなかったらしい。
「深夜0時をまわってから女性ばかり6名がバラバラにいらしたんです。それぞれ、ボーっとグラスを傾けたり、ケ
イタイで何かしたり、かかってる音
楽聴き入ったり、僕と話したり、何だったらこの暗い中本を読み出したり.......さすがに僕も誰かに誘われるんじゃないかとドキドキしまし
たよ」
「で、いいコトあったの?」
「それがなかったんです。みんな1.2杯呑んでサァーっと帰っていっちゃいました。ホッとしてがっかりってカン
ジです。そのとき思ったんです、女
性は自分のライフスタイルをきちんと体現しているのだなって。それ以降、女性のこの時間を守ってあげなくては尊重しなくては、って思ってます」
「男にはライフスタイルはないの?」
「昔はあった........恥があった時代です。活きた情報を持った男がオモシロ可笑しくポジティヴな話をし
てた、そんな粋な呑み方がありまし
た、男の美学です、そんな吞み手がたくさんいた。でも、今はありません、ネガティヴな情報の少ない男ばかりで。」
「女には美学はないの?」
「まだ、ありません。自分の吞み方を持った方は少ない、女性はプラグマティックですから」
「なるほど」
午前0時48分。
若い女は立ち上がり会計を済ませあいさつもせずに帰っていった。
女は2杯目のタリスカーを注文した。
「お邪魔だったのかしら?」
「ははは。ありえないですよ」
「そう? じゃ、ライフスタイルなのね。このお店には女性が多いけど女性を目当てに来るお客はいないの?」
「どうでしょう....ソコまで露骨な方はいらっしゃらないし、いても追い出しますしね。でも、難しいんです
よ、今時。ちゃんと愛想しちゃう女性 が多いからこちらも介入できないんです。イヤそうな顔してたら止めに入れるんですが......」
「声かけられて悪い気はしないもんねぇ.....」
「男が美学をもって遊んでた時代は男たちも格好つけて女性に迷惑でない程度に声をかけてた、でも、今の男は、た
だやりたいだけ、なんです、それ じゃストーリーがない」
「ストーリー? ロマンティックね」
「やりたいだけなら風俗でいい、つまり、今酒場でカンタンに声かける男は女を風俗嬢みたく観ている、リスペクト
がない」
「なるほど、イージーなのね」
「そうです、イージーな男は、バーは女を口説く場所、だと勘違いする、今時、バーでは"いかにも"で、女も警戒
する、人がたくさんいるトコで口説 く方 がいいと思いますよ、ウチで口説くとほぼ失敗してます」
「どうして?」
「暗いから内面の深いトコまで観えちゃうんでしょうね」
「あら、コワい」
「あと、行きつけてない店で口説く方がいいですよね」
「そうね、昔のできる男は、行きつけではステディな人、遊びは隠れて、みたいな明確なポリシーがあったわね」
「そうなんです、だから最近も、いつもパートナーの方を連れていらっしゃるのに商売女連れてきた方に注意したば
かりなんです、周りに気を使わせる な、と。」
「イージーね」
「ちゃんと遊ばないから店を知らないしカンタンに行動しちゃう、思考停止です。だから男はダメになっていくんで
すね」
「いい女は増えているのかしら?」
「相対的には」
「女が集まっても儲からないでしょ?ほら、ココ女性ノーチャージだし....」
「今の男は呑まないから結局同じですよ。ただ......」
「ただ?」
「最近、女性で呑みすぎて乱れたり寝ちゃったりする人が増えているのは気になります」
「恥がない?美学がない?」
「ですね、社会にでて結構地位も得てるからストレスかもしれませんが、それで結婚したいって言われてもってカン
ジです」
「あら?私に言ってる?」
「違いますよ。ただのバーの統計学です。そもそもバーで出会いを求めてはいけない」
「そうなの?バーは出会いの場ではないの?」
「出会いの場ですが、それはコミュニティ的に、であって、恋愛的に、ではない。バーの統計学として、夜に出会っ
てお付き合いするヒトたちの半分以 上ウマくいってません」
「なぜ?」
「だって夜遊んでるってコトは他でも遊んでてまた誰かと出会うってコトだから.......いや、僕は否定して
るんじゃないです、むしろ肯定で す。僕は現代は潔癖な社会すぎて、夜の世界にエロが足らないとカンジているから。」
「エロが足らないってのは、やりたいだけの男が増えた、って嘆きと矛盾してない?」
「ウマく楽しく粋にやろうって言ってるんですよ、思考停止のエゴでなく、志向あるエロ......」
「だから、酒場ではパートナー探しはせずただ遊べ、と?」
「統計学です。アンハッピーなのは観たくないから.......」
「なるほど」
午前1時35分。
女は締めに甘酸っぱいカクテルを何か、と注文し、バーテンダーは、女にコアントロリッキーというカクテルをつくりはじめる。
女は残っていた最後の1本の煙草に火をつけ、カウンターの光る地球儀の光るアフリカを眺めながらため息と煙を吐き出す。かすかにライムの青い香りがする。
午前1時52分。
女は少し酔ってきた自分に気づき先ほどバーテンダーが言っていたみたく乱れてはいけないと自分に言い聞かせ杯を置いた。
「ありがとう。今夜は良い決断ができたわ。アナタのおかげよ。」
「よくわかりませんが、光栄です」
「私ね、今の仕事をやめるコトにしたわ。ずっと迷ってたんだけど、今夜、この店が何かをくれたわ。」
「そうですか、まぁ、よくわかりませんが、またいずれお話ししてくださる日もくるでしょうからとりあえず今夜は
よかったです」
「長い話よ」
「夜は長い」
「........私、粋な女になれるかしら?」
「もう充分 粋ですよ。素敵です」
「ありがとう」
「こちらこそいつもありがとうございます」
「おやすみ」
「おつかれさまでした、おやすみなさい」
午前2時。
女はバースツールから立ち上がり、少しふらつき加減なのをバーテンダーに悟られないようにゆっくり歩く。大きな木の扉を開けると外の空気が顔にあたる。
スリットの窓からグラスを拭くバーテンダーが観える、暗闇の彼は微かな笑顔で会釈した。
女は赤い鉄の階段の上に立ち、大きく深呼吸した。
もうため息はでなかった。ため息はバーに置いていったのだ。
階段を下りると明日がもうはじまっていた。
※半分実話半分脚色です。
4AO