山本裕之のコラム 2009.10.19 ★2009.10.19       アー・ ユー・ハッ ピー?.............. いい事ばかりはありゃしない


  このトコロ世の中がなんか暗い、みんなシンドそうだ。
  弊店もだが僕のいく店のドコのお客さんも、少し、暗い。
  明るいオモロい話が減った....................ご時世だからだろうか。
  今回は何でこうなってるのかを考えて、最後にみなさんに僕の気づいたハッピーになる方法をいくつかご提案したい。この閉塞感を破壊しないとね。

  いい事ばかりはありゃしない

  僕はたいてい独りで呑みにいく。
  僕の呑む時間に合わせてくれるヒトはなかなかいない、だから、寂しいがいつも独りだ。
  仕事の帰りに少ない選択肢(年々朝までやる店は少なくなっている)の中からその日の気分で "板" を選ぶ。
  僕のクールダウンのひととき。
  ツラいときはため息もつく、そして先輩に叱られる。"遊びを 売る仕事 じゃないか!" と。

  い い事ば かりはありゃしない

  閉塞感。それは店側の責任も多いと思う。
  僕は後輩たちの店に行くとその後輩たちからよく相談を受ける、僕にでもできるコトがあるならそれは結構、しかし、たまにお客さんにまで相談してる のを見か けるときがある、 洒落になってないときは僕は彼らを叱る、"遊 びを売る仕事じゃないか!" と、伝承だ。

  いい事ばかりはありゃしない

  僕は独りで呑みにいくけど、基本的にウチに帰る前のワンクッションでテンションを下げるためにバーを利用している。だから後輩クンたちの中には僕 に、独り で呑みたいから今日は話しかけんな、と言われたヒトもいるだろう。僕はその日一日に吸い込んだ "ヒトの気" をそれぞれのバーに置いて帰る、でないと寝床でいろいろ考えてしまって眠れなくなっちゃう。僕は仕事をプライベートに持ち込みたくない。そう考え ると、僕 も退屈で暗い酒呑みであるコトは否めない。
  でも、けして "遊び" を忘れてるワケではなく、特にパーソナルな話をして周りのヒトのテンションを下げたりはしないし、たいてい深夜のテンションの高いお客さんと盛り 上がった り後輩や仲間たち(トモダチではない)と議論大会になって帰りが通勤時間になるコトも少なくない、基本はハッピーな酒を呑んでいる。だから、昨今 のオトコ たちが暗く酒を呑んでるコトが気になって仕方ない。

  なんでみんな暗いんだろう?

  弊店は照明が暗いせいか、他の店に比べてシリアスな話が多い。
  所詮酒場なので深刻に僕に話を聞いて欲しいとか何かを求めてはいないだろうが、僕は結構お客さ んのパーソナルな話を聞いてしまう(まぁ聞いて真剣に答える僕もいかんねやろね、そういう店づくりしてしまったんかな.....)、というコト は、僕も "遊び" をウマく提供できていないんだな、と、最近よく反省する。
  僕は基本的には退屈なニンゲンで "ヤッホー!!" な店は創れない(でも努力している).........どちらかというとオプティミストではあるんだけれど........

  昔、先輩に言われた、"バーの扉というものは、入るときは重 く、出る ときは軽く、でなくてはならない"、と。戒めなければ。
 



  失礼ながら、"遊び" を知らないお客さんは増えた。
  不景気な時代に "粋さ" は生まれにくいのか。


  "行きつけ" もなければコミュニケーションも下手だ。店を育てるという発想はなく店に気を使わない、緊張感もない、かわいがりもしない。(★2007.5.27 虐めと江戸っ子 参照)
  皆、小さい世界でこじんまり満足している。同じ店で同じような話に終始する。それでいいやん、1軒でも "行きつけ" あったらええやん、って思うかもしれないが、実は、ソコに閉塞感が生じているのだ(実際お顔が暗い)。
  "行きつけ" が1軒だけというのはヒキコモリと同じで "楽" (または "現実逃避")を選んで "勝負" してない、そんなの "遊び" にはならない。 店を消費し店も お客さんを消費する、糞だ。それはもはや仮想コミュニケーションホームレスである。(★2006.12.24 症候群 参照)

  先日、近所の居酒屋の店主が、"おひとりさま" が増えたんはエエコトやけど、ひとり遊びでけへんヒトが増えたな、と言っていた。確かに弊店も年々独りで来られるお客様は増加傾向である。
  大将のおっしゃる通り"おひとりさま"には2タイプいらっしゃっる。
  まず、ほとんどおしゃべりにならずお酒を呑むヒト(僕だな)。
  時代が変わったなと思うのは携帯電 話とか PC とかで時間をお過ごしになる、弊店のポリシーとしてこちらから喋りかけるコトはないためほとんど会話はなくなる、店としては楽だが寂しくもあ る。"遊び" にはなってないが時代だから少しあきらめている。
  もうひとタイプは、店員とトモダチの如く何で もお話したいヒト。その日あった出来事を細かく話していただく、パーソナルな話もたくさんお聞きする、家族みたいだ、独身の方に多い。
  たぶん一般のお店はこのタイプのヒトたちを常連さんとして 囲っ ておられるのだろうが、"ジョウレンサンはいない" と言い続けるアウトローに於いてはあまり話しかけたりしないため愛想が悪くカンジられるのであろう。僕はお客さんを "トモダチ" とは思ったコトないもんなぁ.........

  いい事ばかりはありゃしない

   よく先輩やお客さんからお叱りを受ける。
  ★2008.11.8 bad boy blues でも述べた通り、僕は飲食店員失格な "ヒト嫌い" を自認しているので、他のヒトから見ると愛想ないと思われちゃう。
  "ヒト嫌い" だけど憎んでるワケではないし、どちらかというと理解したい、ハッピーにしたいとは思っています、愛想良くしたり社交辞令を言うのは苦手なんで す....................僕はその辺でホントよく誤解され、オミットされる。あと、僕はあまり誰かに "同情" しない(ようにしている)。多くの場合のそれ(病気や死や失恋や自己やトラブルなんか)は誰にも起こりえるコトだし当事者もカワイソウでかたづく 話ではな い、なので "同情" はしない、でも話はトコトンまで聞く、所詮僕如きにできるのはそれくらいなのだ。そんなこんなも僕がよく誤解され嫌われる要因なのだろうね。

  "おひとりさま" にもたまに叱られる。
  前はたくさんしゃべってくれたのに最近あまり相手してくれない、と言われる。
  申し訳ないがこれは "おひとりさま" の思い込みの論理だ。
  "おひとりさま" ひとりひとり順番に店員がお声をかけるのがカウンター店のセオリーのように思われるのは少し違う気がする。それは商売上のサーヴィスで愛想である かもし れないが "遊び" ではない。

  いつも言うが、僕はバーには "活きた情報" が必要だ と考えている。
  バーでは、他のヒトの "活きた情報" に聞き耳をたてて、けして加わらず、聞いてないフリをする "遊び" がある。(そんな主旨のラジオ番組もあるね)   だから、話 す方も他のヒトが聞いて興味を持てる楽しい話をするのが "粋なやり方" だと思う。
  因みに、"活きた情報" とは、聞いたヒトが他の場所でも誰かに伝えるコトのできる情報だ。
  会社の愚痴やパーソナルな話は伝えられないし聞いていても退屈だ(冗談になれば救いだがそれはバーテンダーの力量による)。
  正直言って、バーテンダーは毎日同じ場所に立ってるから"活きた情報"がないと退屈でオモシロくないんですよ。新聞やニュースも確認してるから 日々 の時事ネタは たくさん持ってはいるがそんなもん誰でも手に入る "死んだ情報" でしかない。
  バーテンダーができるコトなんてたかが知れてる、退屈な話題を避けなるべく会話を楽しく膨らますのが精一杯、話の素材が悪けりゃ愚にもつけない。 我々バー テンダーは耳年増なだけだ、でも"活きた情報"があれば "遊び" が生まれ少なくとも誰かを ハッピーにはできる。だから我々は求め続ける。
  良いバーテンダーとは、"板" の上に隠れた "活きた情報" を見つけだし、華咲かせるエンターティナーであるべきなのだ。


   というワケで、あまり相手にされないヒト(おひとりさま)は、周りのヒトが聞いてても退屈な話が多いのかも知れないね。残念。まぁ僕の問題ではな いな。ア ナタの挑戦待ってます。


  "活きた情報" を "板" の上に置いてアナタの生き様で "勝負" できないなら、"板" の上で酒を呑む資格はない。
  よいお店はアナタが創るものなのです。
  誰も与えてはくれないし、例え与えてもらってもハッピーにはなれない、自分で勝ち獲っていないモンはいずれ消費するしかないからだ。
  きっとそれはどんな事象でも同じです。
  誰にも依存せずに自立して闘って手に入れないトコロにハッピーはない。




  いい事ばかりはありゃしない

  草食でも肉食でも何でもいいが、今のオトコ諸君は退屈すぎる。

  自分の呑む酒も決めれない、"活きた情報" のあるオモロい話もできない、話もオモシロくないのに隣に座っている女性に声はかける(店に対して礼儀がないしたいてい嫌がられてる)、何事も バーテン ダーに依存する、後輩やオンナと来て金も払わない、オンナを口説くための場所としてしかバーを使えない、そん な自主 性も仁義もな いバーを消費するようなオトコは糞である、笑えないし "遊び" になってない、まだ 会社の愚痴で酒呑む方が未来がある(かな?)。
  彼らは後身に何を伝えられるのだろうか? 憧れられる大人の男になるのだろうか? 粋さがない。そんなオトコと何話したらいいんやろ、退屈。

  僕はオトコ諸君の人生自体が、退屈になったとは思っていない。
  それどころか、バブル期のオトコたちよりもいろんな情報がネットのおかげで手に入るし、どんな趣味もパッケージ化されてるからカンタンに持てる、 できるコ トが多様化しカスタマイズできるから 以前より 楽しいハズだ。街には成熟したよいバーもたくさんあるんだし、これをハッピーな人生と言わず何をハッピーと言うのだ。国家の心配もせず自分のやり たいコト だけで人生設計できる現代なのになぜかハッピーだとカンジていな い。
  そして、オトコたちはバーでため息をつき自身の人生を悲観す る
  なんで?


  いい事ばかりはありゃしない

  まぁ、まずオトコたちはしゃべりすぎだ (僕 も)。コトバが多い。
  自分を理解して欲しいのもわかるし自分を正当化したいのもわかるが、現首相も現国交相もだが、しゃべりすぎて損している、周りに迷惑かけている。 オトコは 不言実行で良い、高倉健でもいい。

  例えば、
  仕事が忙しく収入と合わないと嘆く(仕事があるだけいいやん、相対的にみても余暇は増えているし所得は低くないのにね)、勝手に精神的に疲弊して いる。
  あとよく 聞くのは、社会保障費や租税が高い(欧米より全然マ シ、ってか民主党選んだってコトはもっと増えるってコトだ)。
  ローンがタイヘン(言うなって!わかってたハズやん!因みに僕もまだ数千万残ってるがタイ ヘンとは思ってない、自慢にならんがアナタたちより収入少ないんだゼ!)。
  ..............時間も経済的にも余裕がないからこれから家呑みにしますって宣言されても.....ねぇ。それがハッピーな選択と 思ってるな ら残念なヒ トたちやね、ははは。
  会社の人間関係がウマくいかない(誰のせい?)。
  彼女や家族とウマくいかない (誰のせい?)。
  両親のメンドウをみるのがタイヘン(自分もいつか、やんね)。
  身体が調子悪い(聞きたくもない!)。................嘆嘆嘆 嘆嘆 嘆嘆。
  ...............今のバーは駆け込み寺かよ、やれやれ。自分の規範はないのかね。

  この手の話は基本退屈で誰もハッピーにはならない。
  そんなコト話さんでいいし、もし話すならせめて洒落にして くれっ!
  この手の話を "板" の上で彼女や家族にしたりするのだから余計タチが悪い。
  まぁせいぜいこの手の話は、バーでバーテンダーとふたりきりの時間か、友と居酒屋でへべれけでヤル以外ない、ましてやウチでも外でもオンナコドモ に聞かす 話 じゃない、カッ コ悪いし周りも迷惑だ。
  (そんなアナタに ★2008.7.17 (E)na でお客さんから教えてもらったバーでの会話の黄金比をご参照ください)

  つまり、そのようなパーソナルな話は極力避けないと誰からも相手のされないオバちゃんになってしまうってコトさ(黒崎風)。
  酒場では、趣味やヒトの知らないオモロい話をするだけでいい、それが例えタブーであったとしても深刻な話でもみんなで笑い飛ばせばよい。ソコをコ ントロー ルで きるのが大人の男だ (みんなに身の上話相談してどうすんの?  "遊び" の場やっちゅうのに)。
  そういうやり方でやれば対価として自分の中にない "活きた情報" が入ってきて充実した時間が、人生が、過ごせるだろう。

  人生に於いて、酒場をないがしろにするのはもったいない。
  アウトローみたいにイヤな店でも今までのアナタの人生にない "何か" があるハズさ。
  だってアウトローってバーを知る前と知ってからを考えてごらんよ。少なくとも "何か" が見つかったでしょ? 変わったでしょ?

  " 活きた 情報" で自分を"勝負"して
  "粋" に "遊んで" ハッピーにやろうよ

  それが酒場さ
  それが人生さ
  そんなもんさ
  いい事ばかりはありゃしない



  さて、愚痴っぽくなってきたからそろそろ結論を見出そう。
  ハッピーになるにはどうしたらいいいか。
  僕の嫌いな啓発本やビジネス書や心理学者、精神医、脳科学者、宗教家、占い師、スピリチュアルなんたらなんかがよくその手の本で、こうすればハッ ピーにな れる、なんて書いてるが、みんなあんだけ読んでるのにハッピーなカンジじゃないよね。
  なんせそんなん読んでるヒトほど暗い。
  だってモノサシが何であれ、そもそも、なんよね。

  僕も昔何かの本読んで、毎朝鏡に向かって、お前はできる! なんてやったコトあるけど、特にデキルニンゲンになった記憶はない。

  "アリーmy love" ってドラマで、精神が不安定になったらその時々に応じたテーマソングを決めて頭の中で流すといい、というのがあったけど、これはなかなか使える。 僕も一日 にいくつかの テーマソングを持っていてテンションを上げたりするときには結構役に立つ。合わなくなったら変更すればまた違うライフスタイルになったりするしオ モシロ い。音楽はヒトをハッピーにさせるよね。  NO MUSIC, NO LIFE.

  今CMでやってる赤塚不二夫の "これで、いいのダ" もいい。

  結局さ、ハッピーかどうかなんてココロの持ち方次第ってトコあるし往々にして自分の問題なんだよね。

  いい事ばかりはありゃしない 

  罪を憎んで人を憎まずではないが、何かあっても、あの人悪い人間じゃないんだけどなぁ、とか、別れた恋人にも、悪い人じゃないのよ、などと言う。 ニンゲン はみんな愛に溢れている、そう信じている(大事に育てられあまり騙されたり裏切られたりしてこなかったヒトに多い)。
  それに、人間関係がウマくいかないときは相手に、なんでそんなコトもわからんねん、とか、なんでそんなコトすんねん、とか思う(人間関係の場合自 分の自尊 心の強さがたいていの問題なのだが......)。そこには、こ うあるべき だ、 とい うのが前提にある。

  ほとんどのヒトたち(暗く酒を呑んでるヒトも含めて)は、肯 定からモ ノゴトを観ている。
  孟子のいうトコロの "性説" だ。
  僕は、基本的にはヒトは "性説" で生きるべきだと思って いる、優しい気持ちで生きれるからだ。

  しかしこれだけみんなの暗い顔を見てると、なぜペシミスト(悲観者)なのに "性説" で生きてるのか、と思う。
  そんな混沌の中でポジティブシンキングしようとするから現実とのギャップで歪む。だからツラいのだ。そりゃぁシンドい。

  だから、そんなにツラいなら、否定からモノゴトを観れば良 い。
  荀子のいう "性説" だ。
  そもそも人に善い人間なんていない、基本的に人なんてエゴの塊だ、いい事ば かりはあ りゃしない、そりゃこんな世の中だから戦争もおきるさ、そう考えとけば いい。
  そうすると少しでもいいコトがあれば救われるではないか。

  例えば、仕事もしない嫌いな上司を、できないヤツ、と敢えて思っておけば、少しでもその上司がいい仕事をすればハッピーになれる、逆に、なんでこ んなコト もできないんだ、と考えるとハッピーにはなれない。
  恋愛も同じで、自分に自信があるから相手に求めるモノが増える、自分がもし誰にも相手にされないようなヤツと思えば求めてる場合じゃなくなり一緒 にいても らえ るだけでハッピーだ。(それでもハッピーになれないヒトはちょっと自尊心が強すぎるんじゃない?)
  ★2008.2.22 go go happy day でも触れたが、マイナスから出発するコトで、あとはポジティブシンキングすればハッピーになれる。

  そうすればペシミストもオプティミストになって、いつか "性説" で生きれるようになるハズだ。
  なぜならハッピーとは、包括していくコトだからである。



 glass half empty or half full?
                             
(グラスの半分残った水を「もう半分しかない」と思うか「まだ半分もある」と思うか)


  つまり、釈迦のいう、足るを知る(吾唯知 足)、である (老子も、足るを知る者は富む、といっている)。
  どちらかというと、世の中捨てたモンじゃない、ではなしに、世の中なんてそんなモンさ、で、それから、どうする? なのだ。
  とりあえずそんなカンジで考えとけば、バーでため息つくコトもなくなるんじゃね?


  いい事ばかりはありゃしない

  最後にもうひとつ。
  僕はよく職務質問される(僕は日本一職務質問されるバーテンダーであろう)。先日も警官に止められてそのため口にキレた。
  因みに、僕は権力者と金融業と不動産業が嫌いだ。破壊傾向的性格からかその手のヒトたちにエラそうにされるとムカムカする。
  最近、ジムの駐車場の警備員にエラそうにされてイラっとして、その後ジムで血圧を測ったら普段より1.5倍高かった。血圧の値にも驚いたが、そん なにニン ゲンのカラダって正直なんだとはじめてカンジた。
  イライラしたらカラダに悪い。
  警官や警備員如きのために寿命を縮めるなんてもったいない。
  なので、"性説" で、そんなの当たり前だと思っ てポジティブに、感謝してみるのはどうだろう? 取り締まりご苦労様、とか、フレンドリーに接するためにため口にしてくれてるんだ、とか。少なくとも血圧は安定する。

  ってなワケでちょっといいコト考えた。
  朝起きてから、その日一日出会うヒト、すれ違うヒト、全ての ヒトに、 ありがとう、ってココロの中でそのヒトたちに向けて言ってみよう................そんな計画。
...................実際やってみると、僕は驚くほどのヒトにすれ違っていた。ヒトって独りでは生きられんようになっとるわ。
  数百回の "ありがとう" で、その日一日イライラするコトもなく、逆に、敬遠するタイプのヒトにも笑顔になれたし、少し優しい気持ちになれた。
  是非みなさんもお試しあれ、いつもと違う感覚で一日を過ごせてその後もハッピーになれますよ。

  

  いい事ばかりはありゃしない


  エラそうなコトばかり申しておりますが、拙者は家柄も学歴も資産もないただの輩のバーテンダーでございます。そんなニンゲンがみなさまよりハッ ピーだから と言って、みなさまにも、こうしたらハッピーになれる、などと申すのは烏滸がましい話ではございまするが、こんな腐った、こんな汚れた、こんな歪 んだ、世 界に在りましては、阿呆こそが救い で あろうと今一度提案いたしまする。なので、バーにて酒でも煽って阿呆になりなされ。
  尚、拙者如きからハッピーになる術を得るのは恥とお知り遊ばせ..........................ってかその前にこの "板" に座ってまず俺を笑わせてみろっての!


  アー・ユー・ハッ ピー?

  ツラいならライフスタイルを再構築すればいい
  難しくはない
  ただバーで楽しく酒を呑ればいい
  バーにはアナタの探している "何か" が在る

  まだアナタの翼は折れてはいない
  まだ闘えるし まだ飛べるハズさ

 



 
   楽しみっていうのは、別に大きさとか形で計れるもんじゃない。その人なりに楽しめること、気持ちよくできること、そういったものがあることが 大切なんじゃ ないか。

  日本では遊ぶことは悪いことだとみんな思っている。だからオレは、仕事とか遊ぶとか決めないで、これもあれもそれもこれも、全部うまく納得し て気持ちよく こなしていく人生にしたい。


て めぇの人生 なんだから。てめぇで走れ。
                             矢沢永吉           (著書 アー・ユー・ハッ ピー?より引用)











  未だに 忌野清志郎 と 三沢光晴 の死という現実を受け入れられない。
  僕に "何か" をくれた彼らにココロから感謝する。




2009.10.19 加筆
 


いい事ばかりはありゃしない
  金が欲しくて働いて眠るだけ
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